夜行急行ちくまの歴史|大阪~長野を結んだ夜行列車の変遷と20系・14系・383系

383系ちくま

383系ちくま

1.大阪~長野を結んだ夜行急行「ちくま」

急行「ちくま」は、かつて大阪駅と長野駅を結んでいた夜行列車である。

1959年(昭和34年)12月に大阪~長野間の準急列車として運転を開始し、1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正で急行列車に格上げされた。

「ちくま」は中央本線・篠ノ井線を経由して大阪と長野を結ぶ列車として長く運転され、国鉄末期からJR発足後にかけては、関西と信州を結ぶ代表的な夜行列車の一つとなった。

その歴史の中では、一般型客車、キハ57系気動車、20系・12系客車、14系寝台客車、381系電車、383系電車と使用車両が大きく変化しており、時代によって列車の姿も大きく変わっている。

最終的には2003年(平成15年)に定期列車から臨時列車へ格下げされ、2005年(平成17年)秋を最後に運転を終了した。

2.戦前から存在した中央西線の夜行列車

大阪~長野間を結ぶ「ちくま」が登場する以前から、中央西線・篠ノ井線方面では夜行列車が運転されていた。

第二次世界大戦以前には、803列車が名古屋駅を23時27分に発車して長野駅まで運転されていた。

この列車には一時期、二等寝台車が連結されていたが、1943年(昭和18年)2月15日の戦力増強ダイヤ改正により座席車に変更された。

戦後になると、1947年(昭和22年)6月21日に名古屋~長野間で夜行準急「きそ」が運転を開始した。

この「きそ」は、その後の中央西線夜行列車の系譜につながる存在であり、「ちくま」とともに大阪・名古屋と長野を結ぶ夜行列車網を形成していくことになる。

3.1959年に準急「ちくま」誕生

1959年(昭和34年)12月13日、大阪~長野間で準急「ちくま」の運転が開始された。

運転開始当初の「ちくま」は、長野行きが夜行列車、大阪行きが昼行列車という特徴的な運転形態であった。

当時はまだ一般型客車が使用されており、現在のような電車による高速運転とは異なる列車であった。

大阪から信州へ向かう夜行列車として、「ちくま」は関西と長野を結ぶ重要な役割を担うようになる。

4.1961年に急行「ちくま」へ

1961年(昭和36年)10月1日の「サンロクトオ」と呼ばれるダイヤ改正では、準急「ちくま」が急行列車に格上げされた。

このとき使用車両も一般型客車からキハ57系気動車へ変更された。

キハ57系は、信越本線・中央本線などの山岳区間を走る急行列車向けに設計された気動車であり、「ちくま」は「志賀」「丸池」「とがくし」などと共通運用を組んでいた。

同じ改正では、名古屋~長野間に夜行準急「おんたけ」と夜行急行「あずみ」も登場しており、中央西線・篠ノ井線では複数の夜行列車が運転される時代を迎えた。

5.1960年代に拡大する「ちくま」

1966年(昭和41年)3月29日のダイヤ改正では、「ちくま」は大阪~長野間で夜行列車と昼行列車がそれぞれ1往復運転されるようになった。

また、この時期には「ちくま」以外にも大阪と信州を結ぶ夜行列車が存在していた。

1966年7月には、大糸線直通の臨時急行「くろよん」が大阪~松本間で併結運転を実施した。大阪発は夜行、大阪行きは昼行という運転形態であった。

さらに1966年10月には、団体専用列車「信越日光観光」の大阪~長野間が分離され、「彩雲」という列車名が与えられた。「彩雲」も長野行きが夜行、大阪行きが昼行という特徴的なダイヤで運転された。

1968年(昭和43年)10月1日の「ヨンサントオ」と呼ばれる大規模なダイヤ改正では、「彩雲」が「ちくま」に統合された。

これにより「ちくま」は季節列車を含め、夜行列車1.5往復、昼行列車1.5往復という大きな列車体系となった。

一方、「おんたけ」は廃止され、「あずみ」は「きそ」に統合された。

6.特急「しなの」の登場と夜行列車化

1970年代に入ると、中央西線・篠ノ井線では特急列車の運転が拡大していった。

1971年(昭和46年)には「ちくま」の昼行列車1往復が特急「しなの」に格上げされた。

これによって「ちくま」は夜行列車中心の列車へと変化し、季節列車を含めて夜行列車2.5往復、昼行列車0.5往復となった。

さらに1972年(昭和47年)には定期夜行「ちくま」が気動車化された。

昼行の高速化が進む一方で、「ちくま」は大阪と信州を夜間に結ぶ夜行列車として独自の役割を担うようになったのである。

7.1978年に20系寝台車を投入

「ちくま」の歴史の中でも大きな転換点となったのが、1978年(昭和53年)10月2日のダイヤ改正である。

この改正で定期夜行「ちくま」は客車列車へ戻され、20系寝台車と12系座席車による編成となった。

20系は国鉄を代表する寝台客車であり、「ちくま」にも寝台設備が設けられたことで、大阪から信州へ向かう夜行列車としての性格がより明確になった。

また、季節列車の「ちくま」の1往復は167系電車に変更され、臨時急行「くろよん」と併結運転を行った。

この列車は大阪発が夜行、大阪行きが昼行という運転形態であった。

さらに、もう1往復の季節夜行「ちくま」には12系客車が使用された。

この時期の「ちくま」は、定期列車と季節列車で異なる車両が使用され、夜行列車としても複数の形態が存在していた。

1982年11月15日ダイヤ改正現在夜行急行ちくま編成表
夜行急行ちくま 大阪~長野 20系+12系 所属 宮原
←大阪 長野→
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
ナハネフ23 ナハネ20 ナハネ20 スハフ12 スハフ12 オハ12 オハ12 オハ12 オハ12 スハフ12
B★ B★ B★ 指定 指定 指定 指定 自由 自由 自由
※1 急行ちくま3・4号
※2 B★はB寝台客車3段式寝台
※3 大阪~名古屋間EF65-1000牽引、名古屋~長野間EF64-0牽引

8.国鉄末期の「ちくま」

1980年代に入ると、「ちくま」は次第に運転体系を整理していった。

1982年(昭和57年)11月15日には、季節列車として運転されていた客車1往復が臨時列車となった。

1984年(昭和59年)2月1日には、定期「ちくま」の大阪~名古屋間を牽引する機関車が宮原機関区のEF58形からEF65形へ変更された。

1985年(昭和60年)3月14日には「きそ」が廃止され、中央西線の夜行列車体系も大きく整理された。

この改正では「ちくま」の大阪~名古屋間の運転時間帯も変更され、名古屋駅で客扱いを行うようになった。

そして1986年(昭和61年)11月1日のダイヤ改正では、定期夜行「ちくま」の寝台車が20系から14系へ変更された。

この時点で「ちくま」は、国鉄末期を代表する大阪~長野間の夜行急行として運転されていた。

9.JR発足後の「ちくま」

急行ちくま

急行ちくま

1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化では、客車はJR西日本、機関車はJR東日本・JR貨物が担当することになった。

JR発足後も「ちくま」は運転を継続し、大阪と長野を結ぶ夜行列車として残った。

1994年(平成6年)には寝台車が14系15形に変更された。

14系15形は、従来の14系寝台車を改良した車両で、B寝台が2段式となった。

これにより「ちくま」の寝台設備は近代化され、夜行列車としての居住性も向上した。

1996年(平成8年)3月には、名古屋~長野間の機関車運用が愛知機関区のEF64形から篠ノ井機関区のEF64形へ移管された。

しかし、この客車列車時代も長くは続かなかった。

10.383系電車化で大きく変わった「ちくま」

1997年(平成9年)10月、「ちくま」にJR東海の383系電車が投入された。

383系は特急「しなの」に使用されていた振り子式の特急形電車であり、「ちくま」もこの383系を使用することで電車化された。

これによって「ちくま」は、長年続いた機関車牽引の客車列車から電車列車へと大きく姿を変えた。

383系は特急「しなの」と共通使用され、「ワイドビュー」と呼ばれた車両でもある。

夜行急行でありながら特急形電車を使用するという、非常に特徴的な列車となった。

同時に機関車運用の委託も解消され、「ちくま」の運転体系は大幅に効率化された。

20系や14系寝台車を使用していた時代と比較すると、383系時代の「ちくま」は全く異なる姿となった。

11.臨時列車化された「ちくま」

381系臨時急行ちくま

381系臨時急行ちくま

2000年(平成12年)には、臨時急行「くろよん」が381系電車による列車として運転されるようになり、「ちくま」との併結運転もなくなった。

そして2003年(平成15年)10月1日のダイヤ改正で、定期夜行「ちくま」は臨時列車へ変更された。

運転車両には381系電車が使用された。

かつて大阪~長野間を毎日結んでいた夜行急行も、利用者の減少などによって定期運転を維持することが難しくなり、臨時列車へと移行したのである。

夜行列車そのものが全国的に縮小していた時期でもあり、「ちくま」もその流れから逃れることはできなかった。

12.2005年に運転終了

臨時列車となった「ちくま」は、その後も繁忙期を中心に運転された。

2004~2005年冬の臨時列車では上下列車が設定されたものの、2005年(平成17年)春以降は大阪発のみの運転となった。

そして2005年秋をもって「ちくま」の運転は終了した。

大阪発は2005年10月7日の列車を最後に運転を終え、長野発は同年1月3日の列車が最後となった。

こうして1959年の準急「ちくま」誕生から約46年にわたって続いた「ちくま」の歴史に幕が下ろされた。

13.「ちくま」の車両の変遷

「ちくま」の大きな特徴は、約半世紀にわたる歴史の中で使用車両が大きく変化したことである。

運転開始時は一般型客車だったが、1961年にはキハ57系気動車へ変更された。

その後、1972年には定期夜行列車が再び気動車化され、1978年には20系寝台車+12系座席車による客車列車となった。

1986年には寝台車が14系に変更され、1994年には14系15形の2段式B寝台車となった。

そして1997年には383系電車が投入され、長年の客車列車から電車列車へと変貌した。

最終的には臨時列車時代に381系電車も使用されるなど、「ちくま」は国鉄からJRへの車両技術の変化をそのまま映し出したような列車でもあった。

「ちくま」の主な使用車両
時期 使用車両・形態
1959年 一般型客車
1961年 キハ57系気動車
1972年 気動車による定期夜行
1978年 20系寝台車+12系座席車
1986年 14系寝台車+座席車
1994年 14系15形寝台車
1997年 383系電車
2003年以降 臨時列車化、381系電車など

14.大阪~長野を結んだ夜行列車の終焉

「ちくま」が運転を終了した2005年は、全国的に夜行列車が急速に姿を消していた時期でもあった。

新幹線や高速道路の整備によって都市間輸送の高速化が進み、夜行列車の存在意義は次第に低下していた。

大阪~長野間でも、昼行の特急列車や新幹線を利用した方が短時間で移動できるようになり、夜行急行を利用する需要は縮小していった。

かつては「寝ている間に目的地へ到着できる」という夜行列車ならではの利便性が大きな魅力だったが、航空機や高速鉄道、高速バスなど交通手段の多様化によって、その役割は徐々に失われていった。

「ちくま」もまた、こうした時代の変化の中で定期列車から臨時列車へ移行し、最終的には姿を消すことになったのである。

15.まとめ

急行「ちくま」は、1959年に大阪~長野間の準急として誕生し、1961年に急行へ格上げされた。

その後、中央本線・篠ノ井線を経由して大阪と長野を結ぶ夜行列車として発展し、20系寝台車や14系寝台車を使用した時代には、関西と信州を結ぶ代表的な夜行列車の一つとなった。

国鉄末期には14系寝台車を使用し、JR発足後の1994年には14系15形へ変更。1997年には383系電車が投入され、夜行急行でありながら特急形電車を使用するという特徴的な列車となった。

しかし、夜行列車を取り巻く環境は次第に厳しくなり、2003年には定期列車から臨時列車へ変更。2005年秋の運転を最後に、その歴史に幕を下ろした。

約46年間にわたって大阪と長野を結び続けた「ちくま」は、一般型客車、気動車、20系・14系寝台客車、383系・381系電車へと姿を変えながら、国鉄からJRへと移り変わる時代の夜行列車の歴史を象徴する存在だったといえる。

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