1.急行「日本海」の誕生(1924~1968年)
寝台特急「日本海」の歴史は、1924年(大正13年)7月31日に羽越本線が全通し、日本海縦貫線が完成したことから始まる。同日、神戸~青森間に急行503・504列車が運転を開始し、日本海縦貫線を走破する長距離列車が誕生した。
1926年には全区間が急行列車となり、1929年には発着駅が大阪へ変更。1930年には列車番号が501・502列車となり、食堂車や寝台車を備えた長距離急行として発展した。
戦時体制下では列車も縮小され、1943年には急行から普通列車へ格下げとなり、日本海縦貫線から急行列車が姿を消すこととなった。
終戦後の1947年には急行列車として復活し、1950年11月8日に急行「日本海」の愛称が与えられた。これが後の寝台特急「日本海」へとつながる列車である。
1961年には羽越本線で土砂崩れによる脱線事故が発生するなど、日本海縦貫線特有の自然災害とも向き合いながら運転が続けられた。
2.ブルートレイン「日本海」の誕生(1968~1975年)
1968年10月1日の「ヨンサントオ」ダイヤ改正は、「日本海」にとって最大の転機となった。
大阪~青森間の急行「日本海」は寝台特急へ格上げされ、20系客車を使用したブルートレインとして運転を開始した。一方、それまでの急行「日本海」は急行「きたぐに」へ名称変更されている。
運転開始当初は9両編成という比較的短い編成だったが、翌1969年には13両編成へ増強され、需要の高さがうかがえる。
しかし同年12月には北陸トンネル内で電源車カニ21形から火災が発生した。運転士が機転を利かせてトンネル外まで列車を走らせてから消火したため人的被害は発生しなかった。この経験は1972年の北陸トンネル火災事故(急行「きたぐに」)後に再評価され、「トンネル内では停止せず脱出を優先する」という現在につながる運転規程整備の契機となった。
また、この事故を受けて14系客車の製造は一時中断され、新たに集中電源方式を採用した24系客車の開発が進められることになった。
3.14系・24系への世代交代(1975~1982年)
1975年3月10日のダイヤ改正では湖西線開業に合わせて経路が米原経由から湖西線経由へ変更された。
同時に20系客車は14系客車へ置き換えられ、食堂車も廃止された。また季節列車として2往復目の「日本海」が設定され、定期・季節合わせて2往復体制となった。
1976年には季節列車へ24系25形客車が投入され、1978年10月のダイヤ改正では季節列車も定期化され、「日本海」は2往復体制となる。
この時期は
14系客車
24系客車
24系25形客車
という3種類のブルートレイン客車が混在する珍しい時代でもあった。
1980年には「あけぼの」の24系化に伴い、「日本海」からA寝台車が抜き取られB寝台のみの編成となった。
さらに1982年11月15日の上越新幹線開業では大きな転機を迎える。
全列車24系25形へ統一
A寝台車を廃止
客車配置を宮原客車区へ集約
するとともに、急行「きたぐに」が大阪~新潟間へ短縮されたため、「日本海」は大阪~青森間を結ぶ唯一の夜行列車となった。
4.国鉄末期の充実期(1984~1987年)
1984年には「日本海2・3号」が青森運転所所属の24系25形客車へ変更されるなど運用の見直しが実施された。
1985年3月14日改正では、1975年以来廃止されていた機関車のヘッドマーク掲出が復活し、ブルートレインらしい姿を取り戻した。
1986年11月1日のダイヤ改正では秋田~青森間で使用されていたED75形電気機関車が姿を消し、大阪~青森間をEF81形が通しで牽引するようになった。
1987年の国鉄分割民営化では、
日本海1・2号をJR西日本
日本海3・4号をJR東日本
が担当する共同運行列車となり、以後も両社協力のもと運転が続けられた。
5.青函トンネル時代(1988~2008年)
1988年3月13日の青函トンネル開業は「日本海」の歴史に新たな1ページを刻んだ。
1・4号は大阪~函館間へ延長され、「北斗星」より一足早く営業列車として青函トンネルを通過した寝台特急となった。
また、
開放式A寝台の復活
オートバイ輸送「日本海モトとレール」
などサービスも充実した。
1989年には豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」が登場し、北海道方面夜行列車の新たな主役となる。
1998年には285系電車化で余剰となった「瀬戸」のオロネ25形を転用し、「日本海1・4号」にA個室寝台「シングルデラックス」が連結された。
一方で利用者減少は続き、2006年には函館乗り入れを終了して再び大阪~青森間の運転へ戻った。
6.終焉(2008~2013年)
2008年3月15日のダイヤ改正では「日本海2・3号」が廃止され、1往復体制へ縮小された。
同時に
寝台特急「あかつき」
寝台特急「なは」
寝台急行「銀河」
も廃止され、西日本所属ブルートレイン客車による定期寝台列車は姿を消した。
その後も新青森駅開業や東日本大震災による運休などを経ながら運転が続けられたが、2012年3月17日のダイヤ改正で定期運転を終了。以後は多客期の臨時列車となった。
2013年1月の冬季運転を最後に設定はなく、そのまま「日本海」は約90年に及ぶ歴史へ幕を下ろした。
7.まとめ
寝台特急「日本海」は、日本海縦貫線の発展とともに歩み続けたブルートレインであった。
その歴史は1924年の急行列車に始まり、1968年のブルートレイン化、青函トンネル開業による北海道乗り入れなど、日本の鉄道史を代表する出来事と深く関わっている。また、1969年の北陸トンネル火災事故は、その後の鉄道防災のあり方を大きく変える契機にもなった。
長距離夜行列車の需要減少により定期運転は終了したが、大阪と東北・北海道を結んだ日本海縦貫線の象徴として、「日本海」は今なおブルートレイン黄金時代を代表する名列車として多くの鉄道ファンの記憶に残り続けている。




