急行きたぐに変遷

583系きたぐにB4

B4

急行きたぐには1950年11月8日ダイヤ改正で誕生した急行日本海にそのルーツを辿る。急行日本海は大阪~青森間の運転で、後に1968年10月1日ダイヤ改正で誕生した寝台特急日本海の登場により愛称名をきたぐにに変更した。こうして急行きたぐには誕生し、大阪~新潟間は夜行列車、新潟~青森間は昼間を走る昼行列車の役割も果たす列車となった。長らく10系寝台車+座席車で運転され、寝台車は新潟止まりで新潟以降は昼行座席列車として運転された。当初は食堂車も連結されていた。この食堂車を火元とする火災が北陸トンネルで発生したのが1972年11月6日のことである。これ以降、分散電源方式として新製されていた14系14形の製造が終了し、電源車を連結した24系に移行していったことは鉄道史の中で有名な話の一つである。

583系きたぐに

583系きたぐに

1973年10月1日ダイヤ改正では座席車が12系に置き換えられた。寝台車は10系のままだった。1975年3月10日ダイヤ改正では湖西線が開業し、大半の北陸線優等列車が同線経由となったが、急行きたぐには従来通り東海道本線米原経由のままの運転となった。米原経由での運転は以後、定期運転を終了する2012年3月17日ダイヤ改正まで続いた。1978年10月2日ダイヤ改正ではグリーン車の連結が中止された。ここまでは10系寝台車+12系座席車で推移してきたが、これが一変するのが1982年11月15日ダイヤ改正で、14系寝台車+14系座席車という新しい形の夜行急行に置き換わった。この時期には同様に北海道のまりも、大雪、利尻の3列車、上野~金沢間の能登、上野~直江津間の妙高などが同様の14系寝台+座席車の形で運転されるようになった。これらの中でA寝台を連結していたのはきたぐにのみだった。また、同改正では大阪~新潟間の運転となり、新潟~青森間は特急いなほに置き換わった。

489系能登と並び583系きたぐに

489系能登と並び583系きたぐに

1985年3月14日ダイヤ改正では583系12両編成に置き換えられた。583系は特急雷鳥、急行立山などに使用されてきたが、それらでの運用が終了し、きたぐにへと転用された。改造車のサロネ581が登場し、伝統のA寝台連結が維持された。1986年11月1日ダイヤ改正では10両編成に短縮され、多客期を除き10両編成となり、2012年3月17日ダイヤ改正の運転終了まで続いた。
1988年3月14日ダイヤ改正では下りきたぐにの新津~新潟間が快速化された。これは同区間の通勤通学輸送に対応するための処置である。

瀬田川を渡る583系B4編成急行きたぐに

瀬田川を渡る583系B4編成急行きたぐに

1994年12月3日ダイヤ改正では大阪~新潟間で並行して走っていた寝台特急つるぎが臨時に格下げとなった。同列車は1996年12月で廃止となり、大阪~新潟間を結ぶ夜行列車はきたぐにのみとなった。それ以降大きな変化はなく、2012年3月17日ダイヤ改正を持って急行きたぐにはその歴史に幕を下ろした。定期列車としての運転は同改正にて終了したが、2012年はゴールデンウィーク、お盆休み期間、年末年始に臨時運転された。臨時急行きたぐには従来通り583系を使用するものの、7両編成での運転となり、自由席3両の連結はなくなり、グリーン車を除いて全て寝台車での運転となった。また、A寝台の連結も中止された。定期時代は北陸本線米原経由で運転されていたが、臨時列車は湖西線経由で運転され、下り列車の新潟到着は6時54分となり、定期時代よりも到着時刻がかなり早くなった。臨時列車の運転中止は正式にはアナウンスがなかったが、2012~2013年の年末年始が最後の運転となった。

7両編成で運転された臨時急行きたぐに

7両編成で運転された臨時急行きたぐに

  

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