雷鳥・スーパー雷鳥・サンダーバード変遷

485系A10特急雷鳥

A10

特急雷鳥は北陸本線の金沢~富山間の電化にあわせて、1964年10月1日のダイヤ改正で大阪~富山間でダイヤが設定されたが、向日町運転所所属の481系の完成が遅れたため、運転開始は同年12月25日にずれ込んだ。グリーン車2両、食堂車1両を含む11両編成で運転された。
1971年からは、向日町運転所に先行配置された489系11両編成(グリーン車2両、食堂車1両を含む)も485系と共通で使用され、1972年3月15日ダイヤ改正からは12両編成化の上で485系と運用が分離され、特急白山と共通で組まれたが、1973年10月1日改正で489系の車両配置が金沢運転所に移管された。なお、向日町所属編成も1976年7月までに12両編成化がなされている他、金沢運転所持ちの運用にはしらさぎと共通の485系も使用されるようになった。

1978年10月2日には、白山の食堂車が廃止となり別編成となった関係で、489系との共通運用が不可能となったため、しらさぎから移管される形で向日町所属の581・583系12両編成(グリーン車1両、食堂車1両含む)が4往復で運用を開始したが、485系と比較して座席などの設備が不評であったことから、1982年11月15日以降2往復に縮小された。なお、定期運用からは1985年3月13日限りで運用が終了したが、以後も代走や多客期の臨時列車として充当される場合があった。

1982年11月15日ダイヤ改正では、食堂車が復活した白山との金沢運転所の489系の共通運用が再開されたが、こちらはグリーン車は1両のみの連結となった。

1985年3月14日以降、食堂車が廃止のうえ、全列車が向日町所属の485系10両編成(グリーン車1両含む)で運用されるようになった。一部では普通車に代えて、食堂車を改造した4人用座敷風グリーン個室和風車だんらんを連結するものもあった。この和風車だんらんは1989年3月10日で運用を終了したが、ラウンジカー(半室グリーン車)に再改造され、雷鳥にパノラマ型グリーン車とラウンジカーを連結したスーパー雷鳥として翌3月11日に運転を開始した。

1987年のJR発足時に特急雷鳥は1日18往復の運転で、大阪~金沢、富山、新潟間の運転だった。当然ながら485系を使用しており、1985年3月14日ダイヤ改正から食堂車を改造した和風車だんらんを連結した列車が7往復運転されていた。和風車だんらんは国鉄最後のテコ入れ策だった。斜陽化した食堂車の活用として、当時流行していたお座敷列車の定期列車版として、座敷風の4人用個室を設けたグリーン車に改造した。

また、JR発足前の1986年12月からは当時流行していた欧風気動車2両を大阪~金沢間で485系雷鳥に連結したゆーとぴあ和倉の運転を開始。大阪~和倉温泉間の直通運転が開始された。

JR発足後はしばらく動きはなく、1989年3月11日改正で漸く雷鳥にも大きな動きが訪れた。1985年3月14日改正で登場した和風車だんらんの連結が中止され、同車を半室グリーン車のラウンジカーに改修。これにパノラマグリーン車を加えた編成を整備して7両全車指定の特急スーパー雷鳥の運転を開始した。既存の485系改造車だが、前述の通りパノラマグリーン車とラウンジ車を連結し、専用の塗装に変更された編成を使用した。スーパー雷鳥は湖西線内で130km/h運転を行い、停車駅を新大阪、京都、福井、金沢、高岡に厳選し、大阪~金沢間を最速2時間39分で結んだ。雷鳥の停車駅として固定されていた敦賀を通過するという破天荒で斬新なダイヤが組まれたが、これは前年に登場したJR西日本のスーパーかがやき、スー パーきらめきに倣ったもので、他社でも国鉄時代に急行格上げなどで停車駅が増加していた特急を速達化するため、同様な手法が用いられていた。スーパー雷鳥は当初7両編成で登場したが好評を得て後に9両編成に増強された。

この頃ユートピア和倉に続いてエーデルタイプの気動車を485系雷鳥に連結して富山から富山地鉄に乗り入れ立山まで運転するリゾート立山が運転された。電車に気動車が無動力でT車として連結される方式がこの頃の流行りであった。

1991年9月には七尾線津幡~和倉温泉間の電化が完成。これに伴い、ゆーとぴあ和倉は引退し、スーパー雷鳥の和倉温泉乗り入れが開始された。スーパー雷鳥の編成も変更され、基本7両、付属3両の10両編成での運転となった。基本7両は和倉温泉行き、付属3両は富山(宇奈月温泉)行きとなった。

681系T2サンダーバード

T2

1992年7月には485系に代わる新型車両として681系が登場した。同車は湖西線で在来線最速の160km/h運転を目指して開発され、量産先行車にて各種試験が行われた。このため臨時列車などで使用されていたが、定期列車運転開始は1995年までずれ込んだ。定期列車開始は1995年3月のダイヤ改正を予定していたが、同年1月17日に発生した阪神淡路大震災の影響で、ダイヤ改正が延期となり、681系の定期列車デビューは同年4月20日となった。681系量産車57両が製造され、既存のスーパー雷鳥を置き換える形で運転され、列車名はスーパー雷鳥サンダーバードという長いものになった。同列車は全線において130km/h運転を行った。これにより大阪~金沢間の所要時間は最速2時間29分となった。大阪~富山間は3時間10分を切って最速3時間7分で 運転された。スーパー雷鳥サンダーバードは8往復の運転、スーパー雷鳥は4往復の運転となり、スーパー雷鳥は改正前のような速達ダイヤではなく、主要駅にも停車する雷鳥型のダイヤに戻っていった。雷鳥はこの時点では11往復が運転されていた。

1997年3月8日ダイヤ改正ではスーパー雷鳥サンダーバードからスーパー雷鳥を取ってサンダーバードの愛称名に変更された。また、スーパー雷鳥の神戸発着が廃止され、サンダーバード、雷鳥系統の列車は全て大阪発着に戻った。

485系白鳥

485系白鳥

2001年3月3日ダイヤ改正では683系が投入され、スーパー雷鳥、雷鳥を置き換え、サンダーバードは1日15往復の運転となった。新潟発着の雷鳥、大阪~青森間の白鳥は廃止され、北陸線特急は金沢で系統分離された。これに伴い雷鳥は臨時を除いて金沢止まりとなった。この結果、大阪発着のサンダーバード、雷鳥は、サンダーバードが15往復、雷鳥が10往復の運転となった。スーパー雷鳥編成の485系はこの後、塗装変更などを行いしらさぎに転用された。

485系スーパー雷鳥

485系スーパー雷鳥

2003年9月にはしらさぎへの683系投入に伴い、車両の転配が行われ、長年使用されてきた485系ボンネット車が引退した。また、しらさぎに使用されていたパノラマグリーン車編成が再度雷鳥に復帰し、9両編成で運転を開始した。同時に加越に使用されていたクロ481も転配され、雷鳥のグリーン車はサンダーバードに合わせて大阪寄りの先頭車に統一された。

2009年6月1日から683系4000番台の運転を開始。同車は段階的に485系雷鳥を置き換えて行き、2009年10月1日ダイヤ改正では雷鳥3往復がサンダーバードに置き換わった。同改正により雷鳥は6往復の運転となり、基本的にパノラマグリーン車連結編成による運転となった。

2010年3月13日ダイヤ改正では雷鳥4往復がサンダーバードに置き換わった。雷鳥は1往復が廃止され、改正以降1往復の運転となった。雷鳥は6両編成での運転となり、多客時には増結して9両で運転された。サンダーバードは七尾線直通列車を6両編成に統一し、富山行きとの分割併合を中止した。平日の3往復が9両から6両に減車された。これらの減便や減車は民主党政権による高速道路1000円や無料化実験などの影響が非常に大きかったことを現した事象である。

485系A3雷鳥

A3

2011年3月12日ダイヤ改正では雷鳥1往復がサンダーバードに置き換えられ、国鉄時代から続いた雷鳥の愛称名は消滅した。同じく大阪~北陸間の特急から485系が引退し、485系とともに一時代を築いてきた雷鳥はその歴史に幕を下ろすことになった。

T44

2015年3月14日ダイヤ改正で、北陸新幹線長野~金沢間の延伸が開業した。これにより、東京対北陸の特急はくたかが新幹線に置き換えられ、金沢以東の在来線特急は全廃された。これに伴い、サンダーバードも和倉温泉行き1往復を除き、全て金沢止まりとなった。2016年3月26日ダイヤ改正で1往復が増発されて、定期列車は24往復体制となった。2017年3月4日ダイヤ改正で、4往復が高槻停車となった。高槻に停車する列車は、下りが朝の1・3・5・7号、上りが夜の44・46・48・50号となっている。2019年3月16日ダイヤ改正で1往復が増発されて25往復体制となった。

  

鉄道コム

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