1.概要
急行「越前」は、上野駅と福井駅を高崎線・信越本線・北陸本線経由で結んだ夜行急行列車である。
1965年(昭和40年)10月1日のダイヤ改正で運転を開始し、上野と北陸地方を結ぶ夜行列車として1982年(昭和57年)11月15日まで17年間にわたって運転された。
「越前」は、上野~福井間を結ぶ夜行列車でありながら、寝台車だけでなくグリーン車や普通車も連結した客車急行であった。晩年にはA寝台・B寝台・グリーン車・普通車を組み合わせた編成となり、さまざまな旅客需要に対応していた。
また、上野~福井間を信越本線経由で結んだことから、直江津・長野・高崎を経由する独特のルートを採用していた。
しかし1982年11月15日のダイヤ改正では廃止され、上野~金沢間を上越線経由で結んでいた急行「能登」が信越本線経由に変更され、「越前」の役割を引き継いだ。これは上越新幹線開業を控えた北陸夜行列車再編の一環であった。
2.「越前」という愛称の登場
「越前」という列車名は、上野~福井間の夜行急行のために初めて登場したものではない。
1962年(昭和37年)6月10日、北陸トンネル開通に伴うダイヤ改正で、大阪~金沢間を結ぶキハ58系気動車急行に「越前」の愛称が使用された。
この列車は気動車化によって所要時間を短縮した列車であったが、1963年4月20日には「加賀」と改称された。
その後、「越前」の愛称は敦賀~金沢間の準急に転用され、さらに1964年10月1日には大阪~金沢間の急行に再び「越前」の愛称が使用された。
しかし、この大阪~金沢間の「越前」も長くは続かず、1965年10月1日のダイヤ改正で廃止された。
そして同じ改正で、今度は上野~福井間を結ぶ夜行急行に「越前」の愛称が使用されることになった。
このように「越前」という愛称は、1960年代前半に北陸方面の複数の列車を渡り歩いた後、上野~福井間の夜行急行として定着することになった。
本稿では、1965年に登場した上野~福井間の夜行急行「越前」を中心に、その歴史を扱う。
3.上野~福井間の夜行急行「越前」登場
1965年10月1日のダイヤ改正で、上野~福井間を信越本線経由で結ぶ夜行急行「越前」が運転を開始した。
列車番号は下り603列車、上り604列車で、1往復が設定された。
運転経路は、
上野~高崎~長野~直江津~富山~金沢~福井
である。
上野から高崎線を走り、高崎から信越本線へ入り、長野・直江津を経由して北陸本線へ入り、富山・金沢を経て福井へ向かうルートであった。
当時、首都圏と北陸を結ぶ夜行列車には複数の系統が存在しており、「越前」はその中でも福井まで運転する列車として設定された。
1965年10月改正では、上野~福井間の「越前」のほか、上野~金沢間の夜行急行「黒部」も設定されており、首都圏と北陸を結ぶ夜行列車網が強化された。
4.北陸夜行列車の一角を担う
1960年代後半の上野駅には、北陸方面へ向かう夜行列車が複数存在していた。
1968年1月の時刻表を見ると、上野~福井間には昼行の急行「白山」に加えて、夜行の「越前」「黒部」が設定されていたことが分かる。
「越前」は上野を夜に出発し、長野・直江津を経由して翌朝に福井へ到着するダイヤで、首都圏から北陸へ向かう夜行需要を担っていた。
1967年10月改正では、下り「越前」は上野19時30分発、福井7時11分着、上りは福井18時10分発、上野6時16分着というダイヤであった。
1968年10月改正では、下りは上野20時40分発、福井7時33分着、上りは福井19時20分発、上野7時03分着となっている。
夜行列車としては比較的長距離を走るため、乗車して睡眠をとりながら翌朝に目的地へ到着できることが大きなメリットだった。
5.寝台車と座席車を併結
「越前」の特徴は、寝台車だけで編成された夜行列車ではなかったことである。
寝台車に加えてグリーン車、普通車を連結し、異なる利用目的を持つ旅客に対応していた。
晩年の「越前」は、A寝台・B寝台・グリーン車・普通車を組み合わせた編成となっており、寝台を利用してゆっくり移動したい旅客だけでなく、座席車で移動する旅客も利用できる列車だった。
これは同時代の急行「能登」などにも見られた国鉄型夜行急行の特徴である。
現在のように新幹線や高速バスが発達していなかった時代には、夜行列車は「安価に遠距離を移動する手段」と「寝台を利用して快適に移動する手段」の両方を提供していた。
6.1968年以降の「越前」
1968年10月1日のヨンサントオ改正では、全国的に優等列車の整理が行われた。
北陸方面でも夜行列車の再編が行われ、「黒部」は1969年に定期列車から臨時列車となった後、「北陸」と統合されていく。
一方、「越前」は上野~福井間の夜行急行として運転を継続した。
これにより「越前」は、上野と福井を信越本線経由で結ぶ夜行列車として、その後の国鉄時代を通じて定着することになる。
7.1970年代の「越前」
1970年代に入っても「越前」は1往復の運転を続けた。
1972年3月15日改正では、下り603列車が上野20時51分発、福井7時12分着、上り606列車が福井20時32分発、上野7時03分着となった。
1975年3月10日改正でも大きな運転区間の変更はなく、上野~福井間の夜行急行として運転を続けた。
1978年10月2日改正では、下り603列車が上野20時53分発、福井7時11分着、上り606列車が福井20時34分発、上野7時05分着となっている。
このように「越前」は、ダイヤ改正によって時刻を微調整しながらも、上野~福井間を信越本線経由で結ぶ夜行急行という基本的な性格を維持していた。
8.1980年代初頭の「越前」
1980年代に入っても「越前」は運転を継続していた。
晩年の1982年夏には、下り603列車が上野20時53分を発車し、高崎22時27分、長野1時00分、直江津3時02分、富山4時50分、金沢6時01分を経て福井7時11分に到着していた。
上り606列車は福井20時34分を発車し、金沢21時44分、富山22時50分、直江津0時46分、長野2時39分、高崎5時18分を経て上野7時05分に到着した。
所要時間は約10時間半に及び、現在の交通機関と比較すれば非常に長い。
しかし、夜間に移動することで宿泊時間を節約でき、早朝から目的地で活動できることは夜行列車ならではのメリットだった。
9.牽引機の交代と信越本線経由の特徴
「越前」のもう一つの特徴は、長距離を走るため複数の機関車がリレーしていたことである。
特に信越本線の碓氷峠を越えるため、横川~軽井沢間ではEF63形電気機関車による補機連結が行われた。
また、直江津以西の北陸本線、長野方面の信越本線などでは区間ごとに異なる機関車が担当した。
1982年当時の「越前」については、福井側ではEF70形1000番台、富山でEF81形、直江津から先ではEF62形が牽引し、横川~軽井沢間ではEF63形が補機として連結されたとされる。
このように、「越前」は単に夜間に走る客車急行というだけでなく、信越本線の難所である碓氷峠を越える列車でもあった。
| 1980年10月1日改正現在の夜行急行越前編成表 | |||||||||
| 夜行急行越前 | 上野~福井 | 10系+旧型客車 | 所属 | 福井・金沢 | |||||
| ←上野 | 福井→ | ||||||||
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
| 荷物 | A | B★ | B★ | グリーン | 自由 | 自由 | 自由 | 自由 | 自由 |
| ※1 上野~福井間を信越本線~北陸本線経由で運転 | |||||||||
| ※2 B★は3段式B寝台車 | |||||||||
| ※3 上野~直江津間EF62、直江津~富山間EF81、富山~福井間EF70が牽引。横川~軽井沢間EF63補機付き | |||||||||
10.1982年11月15日、「越前」廃止
「越前」にとって最後となったのが、1982年11月15日のダイヤ改正である。
この改正では上越新幹線の開業を控え、上野発着の優等列車体系が大きく変更された。
「越前」はこの改正で廃止され、17年余りにわたる歴史を終えた。
このとき、上野~金沢間を上越線経由で結んでいた急行「能登」が信越本線経由に変更され、上野~福井間まで運転される形となった。
つまり「越前」の廃止は単純な列車削減ではなく、「能登」を信越本線経由に変更することで、北陸夜行列車の役割を再編するものであった。
その後の「能登」は14系客車化され、上野~金沢間を結ぶ夜行急行として長く運転されることになる。
11.「越前」が担った役割
「越前」は、上野~福井間を信越本線経由で結ぶ夜行列車として17年間にわたって運転された。
当時の首都圏~北陸間には、
- 寝台特急「北陸」
- 急行「能登」
- 急行「越前」
- 急行「黒部」
など複数の夜行列車が存在し、それぞれ異なる経路・運転区間を持っていた。
その中で「越前」は、信越本線経由で福井まで直通する夜行急行という役割を担っていた。
特に福井県と首都圏を直接結ぶ夜行列車として、「越前」は重要な存在だった。
12.まとめ
急行「越前」は、1965年10月1日のダイヤ改正で上野~福井間に登場した夜行急行である。
高崎線・信越本線・北陸本線を経由し、上野から長野・直江津・富山・金沢を経て福井まで運転された。
A寝台・B寝台・グリーン車・普通車を連結し、さまざまな旅客の需要に対応した客車急行として17年間にわたって運転を続けた。
1982年11月15日のダイヤ改正で廃止されたが、その背景には上越新幹線開業に伴う上野発着優等列車の再編があった。上越線経由だった急行「能登」が信越本線経由に変更され、「越前」の役割を引き継ぐ形となった。
「越前」は、寝台特急「北陸」や急行「能登」とともに、昭和の首都圏~北陸間を結んだ夜行列車網を構成した列車であり、上野~福井間を信越本線経由で結んだ最後の定期夜行急行として、その歴史に名を残している。
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