【新鋭特急泉北ライナーは通過するが堺市の中心駅】
南海高野線堺東駅は、大阪府堺市堺区にある。堺東という駅名だが、実質的に堺市の中心駅で、南海本線の堺駅、JR阪和線の堺市駅よりも乗降者数が多く、駅周辺も賑やかである。特急こうや、特急りんかんが停車するが、特急泉北ライナーは通過する。快速急行以下の電車は全て停車する。
堺東駅は1898年(明治31年)1月30日に高野鉄道開業と同時に、その起点である大小路駅として設置された。1900年(明治33年)9月3日に当駅から道頓堀(現在の汐見橋)まで延伸され、中間駅となった。同月中に駅名を堺駅、さらに堺東駅へと変更した。1907年(明治40年)11月15日に会社合併により高野登山鉄道の駅となった。1915年(大正4年)4月30日に社名変更により大阪高野鉄道の駅となった。1922年(大正11年)9月6日に会社合併により南海鉄道の駅となった。1944年(昭和19年)6月1日に会社合併により近畿日本鉄道の駅となった。1947年(昭和22年)6月1日に路線譲渡により南海電気鉄道の駅となった。1948年(昭和23年)11月30日に新駅舎使用開始。1960年(昭和35年)9月20日に貨物の取り扱いが廃止された。1964年(昭和39年)9月26日に改良工事が完成,跨線橋を設置、乗降場が拡幅・延長された。同年10月3日に南海堺東ビルが竣工した。2000年(平成12年)上下ホームにエレベーターとエスカレーターを設置。同年7月頃に行先案内盤を南海電鉄初のフルカラーLED式に置き換えた。2009年(平成21年)12月に北東口を開設。北口を北西口に改称。2019年(令和元年)6月に各番線の折り返し設備を改良。ダイヤ乱れ時に当駅以南での折り返し運転が可能となった。同年9月に劣化が進んだLED式行先案内盤をLCD式ディスプレイに交換した。
堺東駅はホーム2面4線で、東側に留置線が1線ある。以前は複数の線路があったが、撤去されて、高層住宅になっている。快速急行、急行、区間急行、準急と各停が緩急接続するケースも多い。
改札は4ヵ所ある。かつての北口は、北東口改札ができたことにより北西口となった。北西口は駅ビルの2回にある。
北東口は、2009年12月に開業した新しい改札で、東側に広がる高層マンションに直結している。こちらの改札は無人化されている。
西口はメインの改札で、高島屋などが入る駅ビルに直結しており、駅バスターミナルなどにも近い。ペデストリアンデッキがジョルノ専門店街までつながっている。
西口に広がる堺東駅のバスターミナルとロータリー。奥には堺市役所も見える。
堺東駅西改札の南側の出口はペデストリアンデッキに直結している。
西口はメインの出口で、西改札に上がるエスカレータも設置されている。
西口の対面には堺銀座商店街があり、人通りも多い。南側は市役所などがある官庁街になるが、西側は飲食店などが並んでおり賑やかである。
西口駅前にもバス乗り場があり、堺東駅のバス乗り場は、17番のりばまであり、南海バスが数多くの路線バスを運行するほか、夜行バスなども発着している。
泉北線直通の区間急行は、中百舌鳥を通過するため、堺東で南海の乗務員から泉北の乗務員に交代する。
東口は堺市の中心駅とは思えないような古びた駅舎で、自動改札が数台置かれているこじんまりとした改札である。
南海高野線堺東駅の2015年度1日あたりの乗車人員は29,145人で、うち定期利用者は16,462人である。10年前の2005年度と比べると乗車人員は、3.4%の増加、定期利用者は5.5%の増加となっている。定期外利用者はほぼ横ばいだが、定期利用者がこの10年で伸びている。
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