阪神本線ダイヤ変遷【1987年~2000年】

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1.1987年〜1991年

1987年12月13日ダイヤ改正。国鉄が分割民営化を控えて、1986年11月1日に国鉄最後のダイヤ改正を実施した。分割民営化後のJR各社の経営基盤確保を考えたダイヤ改正となっており、京阪神では新快速の外側線走行の実施など、国鉄としては画期的なダイヤ改正を行った。新快速は外側走行により京阪間では所要時分が据え置かれたが、阪神間では大幅にスピードアップされ、従来26分だったものを22分に短縮した。また、内側線でもダイヤが改正され、大阪駅からは新快速と快速が7~8分毎での発車に改められ、普通の運転区間が高槻~西明石間に増大するなど、従来のダイヤから大幅に改善された。このような状況を受けて、阪神でもダイヤ改正が行われ、抜本的なダイヤの改善が図られた。1987年12月改正以前は平日ダイヤでは12分サイクルに特急、急行、普通が各1本の運転で、急行は西宮までの運転となっていた。これに対して土休日ダイヤでは12分サイクルに特急、快速急行、準急、普通の運転となっており、1983年12月改正で登場した快速急行が梅田~三宮間に運転されていた。1987年12月改正ではこの土休日ダイヤを基準としたダイヤを平日でも実施するようになった。同改正では12分サイクルに特急、快速急行、普通の運転を基本とした。特急は梅田~須磨浦公園間が毎時3本、梅田~新開地間が毎時2本の運転となった。当時の特急停車駅は西宮、芦屋、御影、三宮、元町以遠各駅。快速急行は梅田~三宮間の運転で、野田、尼崎、甲子園、西宮に停車し、西宮~三宮間はノンストップとなっていた。特急と快速急行は所謂千鳥式運転を行っており、特急が通過する各駅に快速急行が停車し、特急が停車する各駅は快速急行が通過すると言う変則的な停車駅設定が行われていた。停車駅数は快速急行が1駅多いだけで停車駅数だけ見れば特急も快速急行もほぼ同等といった感じだった。今でも快速急行は特急が停車する御影を通過しているが、これは21m級車両の近鉄車が停まるのは無理があるためで、かつてのような千鳥式運転を行っているわけではない。

1991年4月7日のダイヤ改正ではデータイムダイヤには特に大きな変化はなかった。この改正で夕方ラッシュ時に魚崎に停車する快速急行が設定された。データイムの快速急行は従来通りの停車駅となっており、夕方限定の停車となった。前年に六甲アイランドへの足となる六甲ライナーが開業しており、それに連絡する為の停車となった。JRが同年に快速の住吉停車を行っているのに対し、阪神はそれに遅れること1年、夕方ラッシュ時の快速急行のみ魚崎停車という中途半端な対応だった。現在は全ての電車が魚崎に停車しているが、この時の対応の差が現在も響いているように思われる。

2.1994年〜1995年

1994年3月20日のダイヤ改正では全ての快速急行が魚崎停車となった。これにより漸くデータイム以降の優等が魚崎にも停車するようになったが、朝ラッシュ時に関しては現状維持で準急が停車するのみとなっていた。

1995年春には特急のスピードアップが計画されていたが、同年1月17日に発生した阪神淡路大震災により、その計画は一旦白紙に戻された。阪神淡路大震災では並行するJR、阪急ともども阪神も多大な被害を受け、復旧にまでかなりの時間を要した。JRが1995年4月1日に全線復旧、阪急が6月12日に全線復旧したのに対し、阪神は並行路線では一番遅い同年6月26日に全線復旧した。各線とも復旧に際してダイヤ改正が行われ、阪神本線でもダイヤ改正が行われた。秒単位でのスピードアップではあったが、曲線通過速度の見直しなどで特急のスピードアップが行われた。梅田~三宮間が26分台での運転となり、JR新快速には遠く及ばないものの阪急特急レベルの所要時分で走るようになった。

本改正では朝ラッシュ時ダイヤで区間特急の停車駅に魚崎が追加された。朝ラッシュ時ダイヤは13.5分サイクルに特急、急行、区急、準急、普通が各1本運転され、区間特急が3本運転されるダイヤとなった。この時の停車駅は特急が従来どおり、元町から三宮、御影、芦屋、西宮で、区間特急は三宮始発で魚崎、芦屋、甲子園に停車した。急行は三宮までの各駅と御影、青木、芦屋、西宮、甲子園、尼崎、野田に停車。準急は御影始発で魚崎、深江、芦屋、西宮、甲子園、武庫川、尼崎センタープール前、尼崎、野田に停車、区間急行は甲子園始発で武庫川、尼崎、野田に停車した。
夕方ラッシュ時ダイヤでは19時台の準急を急行に変更して、快速急行の続行運転となった。

この頃の停車駅を見ていると特急が西宮以西の主要駅に停車し、野田、尼崎、甲子園など西宮以東の各駅は快速急行がフォローし、さらにそれを急行が補完するダイヤが組まれている。遠近分離の理想的なダイヤで、12分というやや長めのダイヤサイクルではあったが、今のように特急も急行も停まりすぎると言うダイヤにはなっていない。この頃の停車駅にもう一度立ち返る必要があるのではなかろうか。

3.1996年〜1999年

1996年3月20日にもダイヤ改正が行われた。前年6月のダイヤ改正は震災復旧によるダイヤ改正で、全線を復旧させることに力が注がれていたが、今改正では石屋川車庫の復旧、車両数の復旧など震災からの完全復旧を持ってダイヤ改正が行われた。本改正を持って阪神本線は阪神淡路大震災から完全復旧したと言えた。データイムダイヤは特に変化はなかったが、ストアードフェアシステムを採用し、阪神電車オリジナルのらくやんカードの発売を本改正から開始した。後年これがスルッとKANSAIやPITAPAに発展していくことになる。ダイヤでは朝ラッシュ時に区間特急を2本増発して、運転本数を5本とした。区間急行も2本増発され、準急も御影発が1本増発、三宮方面への運転も再開された。夕方では快速急行と急行の続行運転時間帯が延長された。また、深夜時間帯には梅田発0時00分の元町行き特急が復活した。

1998年2月15日ダイヤ改正。1995年の震災から3年経ち、神戸や阪神間の街も復興していったが、震災の影響による関西経済の低迷、沿線人口の減少、JRの躍進などで阪神、阪急、山陽などは震災後も苦しい経営を強いられていた。とりわけ山陽はJRの輸送改善の影響を諸に受けており、窮状からの打開策として梅田への直通運転拡大を模索していた。神戸高速鉄道を挟む3社間で協議が行われ、根本的な直通運転の見直しが検討されるようになった。阪急では神戸線の震災後輸送量は減っていたものの、山陽直通の6両編成の混雑緩和が課題となっていた。阪神は山陽との直通運転は最大編成両数が同じであった為、阪急のような問題は生じていなかった。各社の思想を調整した結果、以下のような直通運転方針が確立された 。

1.阪神と山陽の特急の直通運転を拡大し、阪神梅田~山陽姫路間に直通特急を運転する。

2.阪急特急は新開地までの乗り入れとし、新開地以西への乗り入れを中止する。

3.2に伴い阪急神戸線電車は特急も普通も全て8両編成以上での運転とする。

4.山陽電車の阪急乗り入れは阪急三宮までとし、阪急三宮以東への乗り入れは中止する。

以上の直通運転の方針を持って1998年2月15日にダイヤ改正が行われた。阪神本線では先述したとおり、阪神梅田~山陽姫路間に直通特急の運転が開始された。データイムは30分毎の運転で、停車駅は西宮、芦屋、御影、三宮、元町、高速神戸、新開地、高速長田、板宿、山陽須磨、山陽垂水、山陽明石、東二見、高砂、大塩、飾磨となっていた。直通特急が30分毎の運転となったため、阪神本線のデータイムは30分サイクルに変更された。直通特急が30分毎の運転、特急が梅田~高速神戸間、梅田~須磨浦公園間にそれぞれ30分毎に運転され、阪神本線内では10分毎の運転となった。特急は本改正から魚崎に追加停車するようになった。このため梅田~三宮間の所要時分は28分に延伸した。なお、直通特急は魚崎に停車しないので、梅田~三宮間の所要時分は27分となった。また、土休日ダイヤでは直通特急、特急の甲子園への終日停車が実施された。これは土休日ダイヤで急行を甲子園止めとしたため、甲子園以西への便を確保する為のものである。このため土休日の特急は梅田~三宮間の所要時分は29分となった。

阪神本線内は10分サイクルとなったため、快速急行は運転区間が梅田~西宮間に短縮されて急行となった。普通は梅田~高速神戸間に毎時4本、梅田~三宮間に毎時2本が運転され、10分毎の運転となった。データイムの山陽特急も阪神三宮折り返しで設定されており、毎時2本運転された。山陽電車はこの他普通が毎時2本大石まで乗り入れ、三宮~高速神戸間では毎時14本もの電車が運転されるようになった。ちなみに阪急の同区間は改正後毎時8本の運転となっており、阪神の方が倍近い本数となった。それだけ阪神と山陽の直通が活発化し、阪急は山陽との直通を縮小したという結果だろう。

直通特急は朝夕ラッシュ時にも運転され、阪神本線内では特急のほとんどを直通特急に置き換える形で運転された。このため朝夕ラッシュ時に新規に増発は行われていない。

1998年7月1日ダイヤ改正。朝ラッシュ時上りの急行を岩屋に停車させた。灘付近の震災復興住宅計画に乗じたもので、JR灘への対抗策も含まれたものだった。

1999年4月11日ダイヤ改正。西梅田再開発が進み福島付近にラグザ大阪が完成したのに伴い、急行の福島停車を中心としたダイヤ改正が行われた。データイム中心の停車で、朝夕ラッシュ時の急行は従来どおり福島を通過した。下りでは特急、急行、普通の発車順序が入れ替わり、0分発特急、02分発急行、04分発普通となり、野田での急行と普通の緩急接続がなくなった。

  

鉄道コム

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