JR京都線・神戸線・琵琶湖線ダイヤ変遷

1国鉄最後のダイヤ改正~1987年3月31日

117系新快速

117系新快速

国鉄末期の新快速は117系6両編成を使用し、彦根・草津・堅田・京都~西明石・姫路間で15分毎の運転となっていた。今のように姫路まで15分毎の運転ではなく、半数は西明石折り返しで、東側では半数は京都で折り返し、後の半数が草津、堅田へ運転されていた。草津以東まで足を延ばす列車はごくわずかだった。停車駅は草津から石山、大津、京都、新大阪、大阪、三ノ宮、神戸、明石、西明石、加古川で、姫路行きは西明石を通過していた。新快速の神戸停車は1978年10月2日のダイヤ改正から、新大阪停車は1985年3月14日ダイヤ改正からだった。1985年3月改正以前はまさに京阪神(三ノ宮)の三都をノンストップで運転されていたのである。
117系は1980年に登場した2扉転換クロスシート車で、京阪間で競合する阪急京都線特急6300系や京阪特急3000系を多分に意識した車両だった。117系投入以前の車両が急行型の153系で山陽本線の急行廃止で余剰となった車両を転用して使われていたので、新快速専用車両として投入されたのは117系が初めてだった。後に登場する221系は当初は主に老朽化した113系を置き換えるため、快速に投入する予定だったので、純粋な新快速専用車とは言えない。また、223系は当初から新快速で使用する目的で造られ、130km/h運転可能なスペックを持っていたので、新快速専用車のイメージもあるが、実際には当初から快速での運用も見られていたので、完全なる新快速専用車とは言えない。こうやって見ると新快速専用として造られた車両は後にも先にも117系だけと言える。117系も新快速以外にラッシュ時の快速への運用があったが、新快速が運転されている時間帯での快速運用はなかったので、実質的には新快速専用車という扱いだった。このような専用車両の扱いは阪急京都線特急、京阪特急も同じで、117系はそれに倣っていたのだろう。
この私鉄特急車を真似た点はその当時は評価できるものだったが、後の117系の行く末に禍根を残すことになった。同じく私鉄特急の阪急6300系や京阪8000系も同じようにノンストップ時代の終焉とともに、その車両構造が時代に合致しなくなり、117系ほどではないにしろ車両運用上の大きな制約になった。2扉車の扱いは三社三様だが、いずれにしても栄枯盛衰を感じさせるものだった。末期には冷遇されたJR・阪急・京阪の新快速・特急車だが、いずれも京阪間ノンストップ運転で、別料金不要の高品質なサービスを提供するということで、電車王国関西の黄金時代を支えてきたという輝かしい歴史を築いてきたことには違いない。
117系が新快速として君臨していた時代は、まだまだ利用者も少なく、新快速の車内で車内販売が行われていたという長閑な時代だった。同じく京阪間ノンストップで運転されていた阪急や京阪の特急もそれなりの余裕を持ちながらも15分毎の運転を維持できる程度の需要があった時代だった。その状況が一変するのはJR西日本初のオリジナル近郊型車両221系の登場からだ。

現在の新快速のダイヤの礎となっているのが1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正だ。同改正以前、新快速は草津~西明石間の複々線区間で内側線走行を行っていた。同改正でこれを外側線走行として、スピードアップ及び快速・緩行を含めた白紙ダイヤ改正を行った。京都~大阪間は従来通り29分での運転となっていたが、大阪~三ノ宮間はスピードアップされ、22分運転となった。これで並行する私鉄特急よりも速い阪神間最速の列車となった。これ以後、阪神間ではJRの攻勢がどんどん強まっていくことになった。阪神間での新快速のスピードアップは同改正の目玉商品だったと言えるが、それ以上に私鉄に脅威を与えたのが快速・緩行のダイヤ改正だろう。従来の国鉄のダイヤは、高速で走る新快速が内側線を走るため、それと同じ線路を走る快速・緩行は半ば新快速優先でダイヤが決められていた。大阪で新快速が快速を追い抜き、緩行は京都~甲子園口間、吹田~西明石間に系統分割されていた。新快速が外側線に移ることにより、内側線で快速・普通のダイヤが自由に組めるようになった。快速の停車駅見直し、普通の運転区間拡大が行われ、新快速以外の列車も利便性が高まった。京阪間では途中走行中に新快速が快速を追い抜くダイヤとなったが、阪神間では新快速と快速がほぼ等間隔での運転となり、10~12分サイクルで運転される並行私鉄を上回る輸送力を身に付けた。
これに対抗して並行私鉄もダイヤ改正を行い、1987年12月14日のダイヤ改正で阪急が特急のスピードアップ(梅田~三宮間26分運転)と夜間に快速急行の運転を開始した。阪神もデータイムを中心にダイヤ改正を行い、土休日に運転していた快速急行を平日にも運転し、梅田~三宮間で特急とともに12分サイクルに2本の優等が走るフリークェンシーダイヤを実施した。京阪間でも少し遅れて阪急京都線が1989年12月16日にダイヤ改正を行い、データイムについては伝統的な15分サイクルダイヤを改め、20分サイクルに変更した。この時、特急を15分毎から20分毎に減便したため、阪急特急失速というような記事が新聞紙上を賑わした。この当時は京阪はまだまだ対岸の火事程度で、従来からのダイヤを維持していた。

  

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