1.概要
会社名 | 西日本旅客鉄道 |
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路線名 | 北陸本線 |
区間 | 米原~敦賀 |
営業キロ | 45.9km |
駅数 | 12駅 |
平均駅間距離 | 4.18km |
所要時分 | 28分 |
表定速度 | 98.4km/h |
軌間 | 1067mm |
電気方式 | 1500V直流 |
線路 | 複線 |
保安方式 | ATS-SW |
最高速度 | 130km/h |
最大編成両数 | 8両(特急) 4両(新快速・普通) |
JR北陸本線の米原~福井間は99.9kmの距離で、米原~敦賀間が1500V直流電化、敦賀~福井間が2万V交流電化となっている。敦賀までは京阪神から新快速や快速の乗り入れがあり、敦賀以北は特急列車を中心に福井近郊のローカル列車が運転されている。米原から名古屋方面からの特急しらさぎが運転され、近江塩津からは湖西線経由のサンダーバードや雷鳥が大阪から運転されている。この他日本海2往復、トワイライトエクスプレス、急行きたぐになど夜行列車も多数残っている。このうち急行きたぐにのみは米原経由で運転されており、その他は全て湖西線経由となっている。近江塩津からは湖西線経由の新快速も敦賀まで乗り入れており、敦賀直通の新快速はこちらが主体となっている。
駅ナンバー | 駅名 | 駅間距離 | 累計営業距離 | 所在地 | 開業年月日 |
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JR-A12 | 米原 | – | 0km | 滋賀県米原市 | 1889年7月1日 |
JR-A11 | 坂田 | 2.4㎞ | 2.4km | 滋賀県米原市 | 1931年9月15日 |
JR-A10 | 田村 | 2.3㎞ | 4.7km | 滋賀県長浜市 | 1931年10月14日 |
JR-A09 | 長浜 | 3㎞ | 7.7km | 滋賀県長浜市 | 1882年3月10日 |
JR-A08 | 虎姫 | 5.1㎞ | 12.8km | 滋賀県長浜市 | 1902年6月1日 |
JR-A07 | 河毛 | 2.8㎞ | 15.6km | 滋賀県長浜市 | 1954年8月1日 |
JR-A06 | 高月 | 2.6㎞ | 18.2km | 滋賀県長浜市 | 1882年3月10日 |
JR-A05 | 木ノ本 | 4.2㎞ | 22.4km | 滋賀県長浜市 | 1882年3月10日 |
JR-A04 | 余呉 | 4.1㎞ | 26.5km | 滋賀県長浜市 | 1957年10月1日 |
JR-A03 | 近江塩津 | 4.9㎞ | 31.4km | 滋賀県長浜市 | 1957年10月1日 |
JR-A02 | 新疋田 | 7.8㎞ | 39.2km | 福井県敦賀市 | 1957年10月1日 |
JR-A01 | 敦賀 | 6.7㎞ | 45.9km | 福井県敦賀市 | 1882年3月10日 |
2.歴史
JR北陸本線(米原~敦賀間)は1882年(明治15年)3月10日に長浜~柳ヶ瀬間、洞道口~金ヶ崎間が開業した。柳ヶ瀬~洞道口間は徒歩連絡。長浜駅・大寺駅・河毛駅(初代)・高月駅・木ノ本駅・中ノ郷駅・柳ヶ瀬駅・洞道口駅(後の洞道西口駅)・刀根駅(初代)・麻生口駅・疋田駅・敦賀駅・金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)が開業した。1883年(明治16年)10月21日に洞道口駅が洞道西口駅に改称された。
1884年(明治17年)4月16日に柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬~洞道西口間が延伸開業した。洞道西口駅・麻生口駅が廃止された。1885年(明治18年)3月16日に高月~木ノ本間に井ノ口駅が開業した。刀根駅(初代)が廃止された。1886年(明治19年)5月1日に大寺駅・河毛駅(初代)が廃止された。1889年(明治22年)7月1日に米原~長浜間が延伸開業した。
1892年(明治25年)6月21日に明治25年法律第4号「鉄道敷設法」が公布され、「北陸線」として「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ石川県下七尾ニ至ル鉄道」及び「北陸線及北越線ノ連絡線」として「富山県下富山ヨリ新潟県下直江津ニ至ル鉄道」の敷設を予定し、また同法第7条において「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道」を第一期鉄道とした。
1896年(明治29年)7月15日に北陸線敦賀~福井間が開業した。杉津駅・今庄駅・鯖波駅(現在の南条駅)・武生駅・鯖江駅・大土呂駅・福井駅が開業した。
1897年(明治30年)9月20日に福井~小松間が延伸開業した。森田駅・新庄駅(現在の丸岡駅)・金津駅(現在の芦原温泉駅)・細呂木駅・大聖寺駅・動橋駅・小松駅が開業。敦賀~金ヶ崎間の旅客営業廃止。金ヶ崎駅が金ヶ崎貨物取扱所に変更された。井ノ口駅が廃止。
1898年(明治31年)4月1日に小松~金沢間が延伸開業。美川駅・松任駅・金沢駅が開業した。同年11月1日に金沢~高岡間が延伸開業。津幡駅・石動駅・福岡駅が開業。(高岡駅は中越鉄道の駅として既に同年1月21日に開業していた)。
1899年(明治32年)1月に中越鉄道との間に旅客及び貨物連絡運輸を開始した。同年3月20日に高岡~富山間が延伸開業。小杉駅・富山駅が開業。高岡~小杉間の庄川橋梁は仮橋だった。同時に富山~米原間に1往復直通列車を運行開始した。
1900年(明治33年)8月に七尾鉄道との間に旅客及び貨物連絡運輸を開始した。10月に七尾鉄道との間に速達扱貨物連絡運輸を開始した。12月に高岡~小杉間の庄川橋梁が竣工した。
1902年(明治35年)2月15日に新庄駅が丸岡駅に改称された。6月1日に虎姫駅が開業した。11月1日に米原~敦賀~金ヶ崎間が北陸線に編入された。1903年(明治36年)1月1日に長浜駅舎移転。旧駅舎は現在の長浜鉄道記念館となっている。6月20日に小舞子仮停車場が開業した。
1905年(明治38年)4月に七尾鉄道線列車が津幡~金沢間への直通運転を開始した。1906年(明治39年)4月16日に米原~富山間の列車を4往復とし、うち1往復を神戸から直通運転とした。1907年(明治40年)11月16日に粟津駅が開業した。
1908年(明治41年)2月16日に津幡~石動間に倶利伽羅信号所が開設された。3月21日に杉津~今庄間に大桐信号所が開設された。3月25日に金ヶ崎貨物取扱所を金ヶ崎駅に変更(貨物のみの取り扱いは変更なし)。4月21日に敦賀~杉津間に東郷信号所が開設された。5月1日から新橋~富山間において直通列車の運行を開始した。6月1日に大桐信号所が大桐駅として開業した。11月3日に呉羽駅が開業。11月16日に呉羽~富山間の経路が変更され、富山駅が移転。富山線富山~魚津間が開業。東岩瀬駅(現在の東富山駅)・水橋駅・滑川駅・魚津駅が開業した。また同日より新橋~米原~魚津間第537及び538列車を新設した。
1909年(明治42年)6月1日敦賀駅が移転し、米原方面~福井方面スイッチバック運転を解消(代りに米原方面~金ヶ崎駅がスイッチバックとなった)。6月15日に倶利伽羅信号所が倶利伽羅駅として開業した。10月12日に国有鉄道線路名称制定により、米原~魚津間、敦賀~金ヶ崎間を北陸本線とした。
1910年(明治43年)4月16日に魚津~泊間が延伸開業。三日市駅(現在の黒部駅)・生地駅・入善駅・泊駅が開業した。1911年(明治44年)7月1日に信越線直江津~名立間が開業。郷津駅・谷浜駅・名立駅が開業。11月1日に森本駅が開業。
1912年(明治45年 / 大正元年)3月2日に敦賀駅構内の線路を付け替え米原方面から金ヶ崎へのスイッチバックを解消。8月1日も野々市駅(初代、現在の西金沢駅)が開業した。10月15日に泊~青海間が延伸開業。市振駅・親不知駅・青海駅が開業。12月16日に信越線名立~糸魚川間が延伸開業。筒石駅・能生駅・梶屋敷駅・糸魚川駅が開業。12月20日に寺井駅(現在の能美根上駅)が開業した。
1913年(大正2年)4月1日に青海~糸魚川間が開業し米原~直江津間が全通。新規開業区間と信越線糸魚川~直江津間が北陸本線に編入された。柳ヶ瀬~疋田間に刀根信号所が開設された。1916年(大正5年)11月1日に東郷信号所が新保駅として開業した。12月25日に刀根信号所が刀根駅(2代目)として開業した。
1918年(大正7年)11月15日に細呂木~大聖寺間に熊坂信号所が開設された。
1919年(大正8年)1月11日に敦賀~敦賀港間で旅客営業再開。金ヶ崎駅が敦賀港駅に改称された。11月25日に新保~杉津間に葉原信号所が、杉津~大桐間に山中信号所が開設。
1921年(大正10年)4月15日に熊坂信号所が牛ノ谷駅として開業。1922年(大正11年3月15日に柳ヶ瀬~刀根間に雁ヶ谷信号所が開設。また同日より神戸~富山間、上野~金沢間に急行列車を新設した。1923年(大正12年)8月1日に加賀笠間駅が開業。10月15日に越中大門駅が開業。
1924年(大正13年)7月31日に羽越線の全通により、日本海縦貫線が完成したため、神戸~青森間に直通列車の運行を開始した。所要時間は31時間40分だった。1925年(大正14年)8月1日に金沢~森本間に小坂信号場が、森本~津幡間に花園信号場が開設された。10月1日に野々市駅が西金沢駅に改称された。
1926年(大正15年)5月1日に春江駅が開業した。7月3日に東岩瀬~水橋間に浜黒崎仮停車場が開業。1927年(昭和2年)9月1日に呉羽~富山間に田苅屋信号場が開設。飛越線(現在の高山本線)分岐点となった。12月20日に王子保駅が開業。
1929年(昭和4年)9月15日に神戸~青森間における急行列車を廃し、これを大阪~青森間に改めた。1931年(昭和6年)9月15日に法性寺駅(現在の坂田駅)が開業した。10月14日に田村駅が開業。1932年(昭和7年)9月20日に貨物支線 敦賀港~敦賀新港間 (1.2 km) が開業。貨物取扱駅として敦賀新港駅が開業した。
1933年(昭和8年)8月1日に小坂信号場が東金沢駅として開業。1938年(昭和13年)6月1日に丸岡~金津間に越前下関駅が開業。10月1日に金沢~津幡間が複線化。花園信号場が廃止された。1939年(昭和14年)11月15日に上野~金沢間の急行列車の運行区間を上野~金沢~大阪間に拡大した。
1940年(昭和15年)11月1日に法性寺駅・田村駅・越前下関駅が廃止された。
12月1日に福井操車場が開業。福井操車場~福井間が複線化。1941年(昭和16年)8月に津幡~石動間勾配改良工事に着手。その後戦局悪化により中止。1943年(昭和18年)4月1日に貨物支線敦賀港~敦賀新港間 (1.2 km) が廃止(1986年10月31日まで敦賀港駅構内側線として存続)。4月10日に今庄~鯖波間に湯ノ尾信号場が開設。10月1日に福井~森田間に北福井信号場が、大聖寺~動橋間に作見信号場が、滑川~魚津間に早月信号場が開設。また同日より大阪~青森間の急行列車が廃止になった。
1944年(昭和19年)4月1日に上野~金沢~大阪間の急行列車が廃止になった。10月11日に敦賀~新保間に深山信号場が開設。作見信号場が作見駅(現在の加賀温泉駅)として開業。1946年(昭和21年)9月1日に名立~谷浜間に有間川仮乗降場が開業。11月10日に上野~金沢間に準急列車の運行を開始した。
1947年(昭和22年)7月1日に有間川仮乗降場が有間川駅として開業。7月5日に大阪~青森間に急行列車の運行を再開した。1948年(昭和23年)2月13日に田苅屋信号場が田刈屋信号場に改称された。7月1日から大阪~青森間、上野~金沢間に急行列車の運行を再開した。8月25日に福井~森田間に九頭竜仮信号場が開設された。8月30日に浜黒崎仮停車場が廃止。9月1日に湯ノ尾信号場が湯尾駅として開業。
1949年(昭和24年)4月8日に九頭竜仮信号場が廃止。7月10日に北福井信号場が北福井仮乗降場として旅客営業開始。1950年(昭和25年)1月28日に浦本駅が開業。5月20日に東岩瀬駅が東富山駅に改称。11月2日に大阪~青森間の急行列車を日本海、大阪~上野間の急行列車(上越線経由)を北陸と命名した。
1951年(昭和26年)9月1日に北福井仮乗降場が廃止された。1952年(昭和27年)10月1日に大阪~金沢間において準急ゆのくにの運転を開始した。12月1日に福井操車場が南福井駅として開業(貨物取り扱いのみ)。
1954年(昭和29年)8月1日に坂田駅が開業(法性寺駅の復活)。河毛駅(2代目)が開業。10月1日に上野~金沢間に急行白山を新設した。12月10日に田村駅が再開業。1955年(昭和30年)5月1日に北鯖江駅が開業。7月20日に準急ゆのくにを定期列車とした。9月1日に倶利伽羅~石動間の倶利伽羅トンネル(新:現上り線)が完成した。10月1日に富山操車場が開設。11月11日に倶利伽羅~石動間に安楽寺信号場が開設。12月5日に津幡~石動間を倶利伽羅トンネル(新)含む新線に切替。
1956年(昭和31年)4月10日に三日市駅が黒部駅に改称された。11月10日に富山~富山操車場間が複線化。11月19日に福岡~高岡間に西高岡信号場が開設。田刈屋信号場が廃止。また同日、大阪~富山間に急行立山を新設し、急行北陸の運転を福井~上野間に改めた。
1957年(昭和32年)4月25日に西高岡信号場が西高岡駅として開業。8月12日に田村~長浜間が複線化。10月1日に木ノ本~近江塩津~敦賀間 (23.4 km) が単線で開業。余呉駅・近江塩津駅・新疋田駅が開業。近江塩津~新疋田間に沓掛信号場が、新疋田~敦賀間に鳩原信号場が、牛ノ谷~大聖寺間に熊坂信号場が、泊~市振間に越中宮崎信号場が開設。木ノ本~敦賀間の旧線 (26.1 km) を柳ヶ瀬線として分離。田村~近江塩津~敦賀間が交流電化。米原~田村間が複線化。米原~田村間は非電化のまま残され、蒸気機関車の牽引により交直接続を行った。機関車交換のため、田村駅は急行停車駅となった。当初は倶利伽羅峠越え旧線に使用していたE10形が充てられたが、1962年(昭和37年)春までに全車運用終了(2号機のみ青梅鉄道公園で保存)。以降は信越線に使用していたD50形が投入された。11月15日に市振~親不知間に風波信号場が開設。11月20日に越中宮崎信号場が越中宮崎駅として開業した。
1958年(昭和33年)4月10日に貨物支線 東富山~富山操車場~蓮町間 (8.5 km) が開業した。9月25日に高月~木ノ本間が複線化。9月28日に長浜~虎姫間が複線化。9月29日に小杉~呉羽間が複線化。9月30日に虎姫~高月間が複線化。
1959年(昭和34年)3月31日に生地~入善間に西入善信号場が開設。9月22日に東京~金沢間において米原駅経由の急行能登を新設した。また急行北陸の運転を金沢~上野間に改めた。
1960年(昭和35年)5月31日に呉羽~富山間が複線化。7月1日に西入善信号場が西入善駅として開業。9月26日に松任~西金沢間が複線化。9月28日に西金沢~金沢間が複線化。9月30日に石動~福岡間が複線化。10月1日に循環準急しろがね及びこがね(東海道本線・北陸本線・高山本線経由)、また金沢~名古屋間に準急第2ひだを新設した。
1961年(昭和36年)3月1日に大阪~金沢間において準急加賀、西舞鶴~金沢間において準急若狭を新設した。9月28日に福井~森田間が複線化。9月29日に魚津~黒部間に片貝信号場、青海~糸魚川間に姫川信号場が開設。10月1日に大阪~青森・上野間に特別急行白鳥、金沢~新潟間に急行きたぐに、大阪~富山間に準急つるぎ(高岡~富山間は普通列車)、金沢~上野間に急行黒部を新設した。
1962年(昭和37年)2月19日に丸岡~金津間が複線化。3月19日に今庄~湯尾間が複線化。3月21日に今庄~福井間が交流電化。6月2日に新線切り替えに先立ち、敦賀~今庄間の旧線区間廃線式を挙行。6月9日に早朝上り216列車と下り225列車をもって、下り線線路付け替えのため敦賀~杉津~今庄間 (26.4 km) が廃止。以降終日新線を暫定使用。運行は旧ダイヤに基づき、敦賀駅・余座踏切地点・南今庄地点・今庄駅で時間差調整された。深山信号場・新保駅・葉原信号場・杉津駅・山中信号場・大桐駅がこの日早朝限りで廃止。今庄機関区が廃区。敦賀機関区・今庄機関区に在籍していた(小浜線用を除く)旧線用蒸気機関車は金沢機関区に移籍(一部は長野機関区移籍。DF50形およびDD50形ディーゼル機関車は富山機関区移籍。後にDD50形は米原機関区に移籍し、柳ヶ瀬線で3両編成旅客車牽引として使用の後、交・直流ジャンクションの中継機として使用された)。6月10日に北陸トンネル正式開通。敦賀駅・福井駅にて祝賀式典が執り行われる。敦賀~今庄間が複線交流電化新線 (19.3 km) 開業。南今庄駅が開業。また、大阪~金沢間に急行「越前」を新設した。同時に福井~金沢間の旅客列車はディーゼル機関車牽引となり福井駅が機関車付け替え駅となった。8月1日に安楽寺信号場~石動間が複線化。8月10日に福岡~西高岡間が複線化。9月15日に倶利伽羅~安楽寺信号場間が複線化。安楽寺信号場が廃止された。9月25日に津幡~倶利伽羅間が複線化。倶利伽羅トンネル(下り線)を供用開始。9月27日に松梨信号場~寺井間が複線化。小松~寺井間に松梨信号場が開設。9月28日に能生~筒石間に百川信号場が開設。9月29日に寺井~小舞子間が複線化。入善~泊間に小川信号場が開設。9月30日に熊坂信号場~大聖寺間が複線化。12月10日に粟津~小松間が複線化。12月28日に米原~田村間が直流電化。田村駅の米原寄りにデッドセクションを設置。
1963年(昭和38年)4月4日に福井~金沢間が交流電化。4月15日に武生~鯖江間が複線化。4月20日に準急「ゆのくに」及び「加賀」を急行に格上げし、電車化した。また大阪~和倉(上り列車は輪島)間に急行「奥能登」、金沢~秋田(上り列車は青森)間に急行「しらゆき」、名古屋~金沢間に急行「加越」、敦賀~金沢間に準急「越前」を新設した。また準急「わかさ」の運転を福井までとし、大阪~青森間の普通列車511及び512列車を廃止した。7月22日に牛ノ谷~熊坂信号場間が複線化。熊坂信号場が廃止。9月1日に小舞子~美川間が複線化。9月16日に王子保~武生間が複線化。9月25日に鯖波~王子保間が複線化。9月27日に小松~松梨信号場間、高岡~越中大門間が複線化。松梨信号場が廃止。9月30日に新設された衣掛隧道ループ線(鳩原ループ線)を上り線として使用開始に伴い、新疋田~敦賀間が複線化。10月1日に本線下り線専用となるため柳ヶ瀬線の疋田~敦賀間休止し、前日より代替バスに移行。鳩原信号場が廃止。10月20日に筒石~名立間に西名立信号場が開設。
1964年(昭和39年)1月30日に親不知隧道の導坑が貫通した。4月10日に(仮)小舞子駅が正式な駅に昇格し小舞子駅が開業。5月11日に柳ヶ瀬線 木ノ本~柳ヶ瀬~疋田~敦賀間 (26.1 km) が廃止。8月24日に金沢~富山操車場間が交流電化。9月22日に浦本~能生間に木浦信号場が開設。9月24日に旧柳ヶ瀬線線路盤を本線上り線に転用し、木ノ本~余呉間が複線化。9月26日に春江~丸岡間が複線化。9月29日に西高岡~千保川信号場間が複線化。西高岡~高岡間に千保川信号場が開設。10月1日に大阪~金沢間に急行「越山」、大阪~金沢間に急行「越前」、敦賀~金沢間に準急「くずりゅう」を新設し、北陸本線経由米原~上野間の普通列車612及び611列車を廃止した。11月20日に早月信号場が東滑川駅として開業。12月1日に出雲市~金沢間に急行「あさしお」(小浜線・宮津線経由)を新設した。12月25日に大阪~富山間に特別急行「雷鳥」、名古屋~富山間に特別急行「しらさぎ」の運行を開始した。
1965年(昭和40年)4月23日に生地~西入善間が複線化。5月20日に魚津市街地区間の高架化工事着工。5月27日に細呂木~牛ノ谷間が複線化。7月5日に越中大門~小杉間が複線化。7月20日に上市川信号場~滑川間が複線化。水橋~滑川間に上市川信号場が開設。7月30日に富山操車場~東富山間が複線化。8月9日に近江塩津~沓掛信号場間が複線化。8月20日に美川~加賀笠間間が複線化。8月25日に千保川信号場~高岡間が複線化。千保川信号場が廃止。富山操車場~泊間が交流電化。8月31日に青海~姫川信号場間が複線化。9月23日に余呉~近江塩津間が複線化。9月25日に動橋~粟津間が複線化。9月27日に金津~細呂木間が複線化。9月30日に市振~風波信号場間が複線化。親不知~青海間に黒岩信号場を開設し、黒岩信号場~青海間が複線化。親不知~黒岩信号場間は複線化時に上り線となる新子不知トンネルを単線で暫定供用。泊~糸魚川間が交流電化。10月1日に特別急行「白鳥」の上野行を、上野~金沢間の特別急行「はくたか」として独立させ運行を開始。また大阪~金沢間に急行「金星」を新設し、急行「ゆのくに」、「越前」、「越山」及び「くずりゅう」を廃止した。12月10日に黒部~生地間が複線化。
1966年(昭和41年)3月11日に湯尾~鯖波間が複線化。3月16日に森田~春江間が複線化。3月18日に加賀笠間~松任間が複線化。3月24日風波信号場~親不知間が複線化。風波信号場が廃止。6月1日に水橋~上市川信号場間が複線化。上市川信号場が廃止。8月30日に東滑川~角川信号場間が複線化。東滑川~魚津間に角川信号場が開設。9月7日に鯖江~北鯖江間が複線化。9月13日に北鯖江~大土呂間が複線化。9月22日に大聖寺~作見間が複線化。9月24日に大土呂~南福井間が複線化。9月29日に作見~動橋間が複線化。10月1日に名古屋~金沢間に急行「兼六」を新設し、準急「しろがね」、「こがね」及び「ひだ」を急行に格上げした。また急行「あさしお」を米子~金沢間に改めた。11月25日に西入善~入善間が複線化。11月30日に沓掛信号場~新疋田間が複線化。沓掛信号場が廃止。12月3日に東富山~水橋間が複線化。12月15日に旧線(→下り線)の電化・防災強化改修により親不知~黒岩信号場間を複線化。黒岩信号場が廃止。
1967年(昭和42年)5月19日に泊~越中宮崎間が複線化。8月22日に滑川~東滑川間が複線化。8月29日に小川信号場~泊間が複線化。9月20日に入善~小川信号場間が複線化。小川信号場が廃止。9月29日に越中宮崎~市振間が複線化。
1968年(昭和43年)3月25日に野々市駅(2代目)が開業。8月9日に魚津~片貝信号場間が複線化。9月16日に姫川信号場~糸魚川間が複線化。姫川信号場が廃止。9月25日に有間川~谷浜間が複線化。9月27日に角川信号場~魚津間が複線化。角川信号場が廃止。10月1日に越美北線の越前花堂駅に北陸本線ホームが開設。同日より米原~金沢間において時速120キロでの列車運行を開始し、米原~金沢間の所要時間は3時間27分となった。また青森~大阪間に特別急行「日本海」、福井~上野間に季節急行「北陸1号」(上越線経由)を新設し、急行「ひだ」を特別急行に格上げし、青森~大阪間の急行「日本海」を急行「きたぐに」、大阪~新潟間の急行「きたぐに」を急行「越後」、富山~大阪間の急行「金星」を急行「つるぎ」、金沢~米子間の急行「あさしお」を急行「大社」と改称し、急行「能登」、急行「黒部」、急行「加賀」及び急行「加越」を廃止の上で統廃合した。同日、魚津市街地区間の高架化工事完了。
1969年(昭和44年)6月4日に糸魚川~梶屋敷間が複線化。6月17日に片貝信号場~黒部間が複線化。片貝信号場が廃止。6月19日に梶屋敷~浦本間が複線化。9月29日に浦本~有間川間が頸城トンネル経由の新線に切り替えられ複線化。能生駅・筒石駅・名立駅が移転。木浦信号場・百川信号場・西名立信号場が廃止。10月1日に谷浜~直江津間が新線に切り替えられ複線化。郷津駅が廃止。糸魚川~直江津間が直流電化され、全線の複線電化が完成。また同日より特別急行「はくたか」を電車化して上越線経由とし、大阪~新潟間に臨時特別急行「北越」、福井~金沢・富山間に快速「こしじ」を新設した。
1970年(昭和45年)10月1日に作見駅が加賀温泉駅に改称。大聖寺駅・動橋駅に振り分けていた特急・急行停車を同駅に統合。1972年(昭和47年)3月15日に3月1日に三国線が廃止されたことにより、金津駅が芦原温泉駅に改称された。また同日より金沢~松本間に急行「白馬」(大糸線経由)を新設し、上野~金沢間の急行「白山」を特別急行に格上げし、大阪~富山間の急行「つるぎ」を大阪~新潟間に延長し、循環急行「しろがね」及び「こがね」を廃止した。10月2日に大阪~青森間の電化が完成し、特別急行「白鳥」を電車化して、急行「つるぎ」を特別急行に格上げした。また大阪~新潟間の普通列車を廃止した。11月6日に北陸トンネル内で急行「きたぐに」の食堂車から出火し、30名が死亡した北陸トンネル火災事故が発生。
1973年(昭和48年)4月1日に鯖波駅が南条駅に改称された。1975年(昭和50年)3月10日ダイヤ改正で、大阪方面発着の特急・急行が一部を除き湖西線経由となった。また、米原~富山間に特別急行「加越」及び上野~金沢間に急行「能登」を新設し、急行「北陸」を特別急行に格上げし、特別急行「雷鳥」及び「しらさぎ」をL特急とし、急行「兼六」を廃止した。
1978年(昭和53年)10月2日ダイヤ改正で、急行「大社」の乗入れを福井駅までとし、特別急行「白山」をL特急とし、急行「越後」及び急行「ゆのくに1」、「ゆのくに2」を廃止した。1982年(昭和57年)11月15日ダイヤ改正で、急行「能登」を信越本線経由に変更し、特別急行「はくたか」、急行「越前」、「ゆのくに」、「立山」、「しらゆき」及び「白馬」、また金沢鉄道管理局管外へ向う普通列車を廃止した。
1985年(昭和60年)3月14日ダイヤ改正で、急行「きたぐに」を電車化し、特別急行「ひだ」及び急行「のりくら」の乗入れを中止し、急行「くずりゅう」を廃止し、客車普通列車を全廃した。
1986年(昭和61年)11月1日に貨物支線 東富山~蓮町間 (8.5 km) が廃止された。12月27日に特別急行「ゆぅトピア和倉」を新設した。
1987年(昭和62年)3月31日に敦賀~敦賀港間の旅客営業が廃止された。富山操車場が駅に変更され富山操駅として開業。4月1日に国鉄分割民営化により、米原~直江津間 (353.9 km) を西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が米原~直江津間の第二種鉄道事業者、敦賀~敦賀港間 (2.7 km) の第一種鉄道事業者となった。
1988年(昭和63年)3月13日ダイヤ改正で、上越新幹線への連絡列車として金沢~長岡間に特別急行「かがやき」、また米原~金沢間に特別急行「きらめき」の運行を開始した。10月1日に明峰駅が開業した。
1989年(平成元年)3月11日ダイヤ改正で、特別急行「スーパー雷鳥」を新設した。7月21日から大阪~札幌間に団体専用列車として臨時特別急行「トワイライトエクスプレス」の運行を開始した。12月2日から週4往復の臨時特急「トワイライトエクスプレス」の運行を開始した。1990年(平成2年)3月10日に富山操駅が富山貨物駅に改称した。6月5日に金沢駅付近が高架化された。
1991年(平成3年)9月1日に特別急行「ゆぅトピア和倉」を廃止した。9月14日ダイヤ改正で、田村~長浜間が交流電化から直流電化に変更。デッドセクションが坂田~田村間から長浜~虎姫間に変更。坂田駅が米原駅寄りに0.2km移転。湖西線との直通列車がすべて電車化され、近江今津~敦賀間の所要時分が長浜・永原以北直流化後の新快速並みとした。
1992年(平成4年)12月26日から臨時特急「雷鳥」85号及び90号において681系電車の運用を開始した。1993年(平成5年)3月18日ダイヤ改正で急行「能登」を電車化した。1994年(平成6年)12月3日ダイヤ改正で寝台特急「つるぎ」を廃止した。1995年(平成7年)4月20日ダイヤ改正で、大阪~富山・和倉温泉間に特別急行「スーパー雷鳥(サンダーバード)」を新設した。10月1日に近江塩津駅(構内除く)~大聖寺(構内除く)間が金沢支社から福井地域鉄道部の直轄に、石動~市振(構内除く)間が金沢支社から北陸地域鉄道部の直轄に、市振~直江津(構内除く)間が金沢支社から糸魚川地域鉄道部の直轄になった。
1997年(平成9年)3月22日ダイヤ改正で、ほくほく線開業に伴い、越後湯沢~金沢、福井、和倉温泉間に特別急行「はくたか」を新設。「サンダーバード」を新設し、特別急行「かがやき」及び「きらめき」を廃止した。10月1日ダイヤ改正で特別急行「白山」を廃止した。2000年(平成12年)2月8日に近江塩津~直江津間に列車集中制御装置 (CTC) が導入された。
2001年(平成13年)3月3日に683系増備により特急サンダーバードが増発され、特別急行「スーパー雷鳥」、「新潟雷鳥」及び「白鳥」を廃止した。10月1日:特別急行「おはようエクスプレス」を新設した。2002年(平成14年)10月21日に金沢~森本間の旅客線が、並行する貨物線を転用して移設 (-0.1 km)。あわせて東金沢駅が移設された。11月18日に小松駅付近が高架化された。2003年(平成15年)3月15日ダイヤ改正で、特別急行「おやすみエクスプレス」の運行を開始し、特別急行「しらさぎ」を683系電車にて運行を開始した。6月12日にJR貨物の金沢駅が金沢貨物ターミナル駅に改称された。10月1日ダイヤ改正で、特別急行「加越」を特別急行「しらさぎ」に統合した。
2005年(平成17年)4月18日に福井駅付近が高架化。2006年(平成18年)9月24日に長浜~敦賀間が交流電化から直流電化に変更。デッドセクションが北陸トンネル敦賀口付近に変更。10月21日ダイヤ改正により、新快速の敦賀駅乗り入れが開始。2009年(平成21年)4月1日に敦賀~敦賀港間の貨物列車の設定が廃止された。6月1日に組織改正により、石動~市振(構内除く)間が北陸地域鉄道部から富山地域鉄道部の管轄に、近江塩津(構内除く)~南今庄(構内除く)間が敦賀地域鉄道部の管轄に、南今庄~大聖寺(構内除く)間が福井地域鉄道部の管轄になった。10月1日に北陸本線内の特別急行及び急行列車の全部を禁煙化された。
2010年(平成22年)3月13日ダイヤ改正で、特別急行「北陸」及び急行「能登」が廃止された。2011年(平成23年)3月12日ダイヤ改正で、特別急行「雷鳥」が廃止された。2012年(平成24年)3月17日ダイヤ改正で、特別急行「日本海」及び急行「きたぐに」が廃止された。9月25日に米原~長浜間でATS-P(拠点P方式)の使用開始。2013年(平成25年)12月12日に北陸新幹線開業に伴う新幹線並行区間の金沢~直江津間の廃止届が提出された。2014年(平成26年)10月18日に金沢~富山間を走行する日中の普通列車の一部において、ワンマン運転を開始。
2015年(平成27年)3月13日に特別急行「はくたか」及び「北越」、臨時特急「トワイライトエクスプレス」を廃止した。3月14日に北陸新幹線長野~金沢間延伸開業に伴い、金沢~直江津間 (177.2 km) を廃止し、金沢~倶利伽羅間がIRいしかわ鉄道に移管されIRいしかわ鉄道線に、倶利伽羅~市振間があいの風とやま鉄道に移管されあいの風とやま鉄道線に、市振~直江津間がえちごトキめき鉄道に移管され日本海ひすいラインになった。これにより、富山、新潟の両県から北陸本線の名が消えることになった。寺井駅を能美根上駅に改称した。
2017年(平成29年)3月4日ダイヤ改正で、敦賀~金沢間を走行する日中の普通列車の一部において、ワンマン運転を開始。4月15日に大聖寺~金沢間でICカード「ICOCA」の利用が可能になった。2018年(平成30年)9月15日に牛ノ谷~新疋田間でICカード「ICOCA」の利用が可能になった。これにより北陸本線全線でICOCAの利用が可能となると共に関西圏と北陸本線のICOCAエリアが繋がった。2019年(平成31年)4月1日に貨物支線 敦賀~敦賀港間 (2.7 km) が廃止された。
3.路線ガイド
米原はJR琵琶湖線、東海道本線名古屋方面と接続、東海道新幹線と連絡している。北陸線電車は3、5、6、7番線のいずれかから発着している。米原を出ると名古屋方面に向かう東海道本線が右手に分かれていき、JR琵琶湖線の電留線を見ながら北陸本線は左にカーブして東海道新幹線の下をくぐり、そのまま真っ直ぐ北上する。坂田は2面2線で、かつては米原方に交直のデッドセクションがあった。坂田を出ると田園風景が広がり、左手に琵琶湖が見えてくる。このあたりは線路が真っ直ぐ延びていて特急は120km/hで飛ばす。左手に長浜ドームが見えて長浜市に入ると2面2線の田村となる。同駅は国鉄時代客車列車が機関車の交換を行っていたので、構内は広い。現在は側線が撤去されて殺風景な構内になっている。バイオ大学を見ながら田村を出ると再び田園風景の中を行く。やや左にカーブして琵琶湖岸を走り、長浜の市街地が見えてきて、左手にD51の姿が見える旧長浜駅舎が見えると2面4線の長浜となる。長浜は駅本屋がある1番線には特急が停車し、2番線には北陸線敦賀方面行の下り列車、切り欠きホームの3番線からは長浜始終着の敦賀方面行きが発着している。4番線は京阪神方面への新快速と北陸本線下り列車が発着している。長浜駅前にはアルプラザなどがあり湖東地区で一番賑やかになっている。なお2003年7月に旧長浜駅舎内に北陸線電化記念館が開業している。北陸本線長浜~敦賀間の直流電化が完成した2006年10月21日ダイヤ改正より現在の新ホーム及び橋上駅舎が使用されている。それ以前は2面3線の地上駅だった。
長浜を出ると右にカーブして琵琶湖と分かれて北上する。しばらく長浜の市街地を見ながら進み、すぐにそれらが途切れて、国道8号線の下をくぐって再び田園風景の中を行く。びわ町をかすめて虎姫町に入り、虎姫となる。2003年の阪神タイガースの快進撃にあやかって同駅の記念入場券を発売してすぐに完売してしまったことで有名である。虎姫を出ると湖北町に入り河毛となる。河毛を出ると北陸自動車道の下をくぐり高時川を渡って高月町に入って高月となる。駅周辺は工場などもあり結構開けている。このあたりは直流化に対する期待は高い。高月を出ると左手に国道8号線、その向こうに北陸道が並行し、右手には国道365号線も並行して走る。木之本町に入り、国道303号線の下をくぐって、左手に北陸道の木ノ本ICを見ながら2面3線の木ノ本となる。北陸線ローカルの一部電車はここで折り返しを行う。木ノ本を出ると北陸道がオーバークロスし、次いで国道8号線がオーバークロスする。余呉町に入り、左にカーブして余呉川、余呉導水路を渡り、左手に余呉湖が見えると1面2線の余呉である。余呉駅周辺は余呉湖がある以外は特に何もないところである。余呉を出るとトンネルに入り、西浅井町に入りトンネルを抜けると左手から湖西線が近づいてきてこれと合流すると2面4線の近江塩津となる。このあたりは停車するローカル列車よりも特急の通過の方が断然多い。
近江塩津を出るとしばらく複々線状態で進み、トンネルを抜けて複雑に立体交差して複線となる。長い深坂トンネルを抜けて敦賀市に入り、2面2線で真ん中に通過線がある新疋田となる。このあたりは北陸線撮影のメッカで、これからしばらくは485系の有終の美を撮影に来る人で賑わうだろう。もっとも撮影マナーが悪い事や人身事故対策などから撮影が禁止されている箇所もあるようなので撮影者は注意していただきたい。新疋田を出ると右に左にカーブして疋田城址を右に見て左にカーブする。そして上下線が分かれて、上り線は衣掛ループ線に入り、下り線と分かれて行く。下り線は国道8号線と並行して進む。上り衣掛ループ線は衣掛山を第1衣掛、第2衣掛トンネルでループ状に抜けて、下り線をアンダークロスして国道8号線も越えて大きく迂回して再び合流する。そして左手からJR小浜線が近づいてきて、左手に敦賀機関区が広がりそれが途切れて市街地が見えてくると敦賀となる。敦賀は3面6線の構造で、北陸線は3~7番線を使用し、小浜線が1、2番線を使用する。福井方には福井地域鉄道部敦賀運転派出が広がっている。