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6701F
1.概要
会社名 | 近畿日本鉄道 |
---|---|
路線名 | 長野線 |
区間 | 古市~河内長野 |
営業キロ | 12.5km |
駅数 | 8駅 |
平均駅間距離 | 1.79km |
所要時分 | 18分 |
表定速度 | 41.7km/h |
軌間 | 1067mm |
電気方式 | 1500V直流 |
線路 | 複線(古市~富田林) |
単線(富田林~河内長野) | |
保安方式 | ATS |
最高速度 | 100km/h |
最大編成両数 | 8両 |
近鉄長野線は近鉄南大阪線の古市と南海高野線の河内長野を結ぶ12.5㎞の路線で、南大阪線同様軌間1067ミリの狭軌鉄道となっている。古市~富田林間が複線で、富田林~河内長野間は単線になっている。古市は南大阪線との接続駅だが、長野線電車のほとんどが南大阪線に直通している。朝夕ラッシュ時には古市で準急が分割併合や増解結作業を行う。古市から富田林までが複線で、ホーム有効長も最大7両編成まで停車可能になっている。富田林以南は5両編成が最大編成両数となる。
駅№ | 駅名 | よみがな | 駅間距離 | 営業距離 | 所在地 | 開業年月日 | 急 行 | 準 急 | 普 通 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
O16 | 古市 | ふるいち | – | 0km | 羽曳野市 | 1898年3月24日 | ○ | ○ | ◎ |
O17 | 喜志 | きし | 3.4km | 3.4km | 富田林市 | 1898年4月14日 | ○ | ○ | ○ |
O18 | 富田林 | とんだばやし | 2.3km | 5.7km | 富田林市 | 1898年4月14日 | ◎ | ◎ | ◎ |
O19 | 富田林西口 | とんだばやしにしぐち | 0.6km | 6.3km | 富田林市 | 1904年10月12日 | ○ | ○ | ○ |
O20 | 川西 | かわにし | 1km | 7.3km | 富田林市 | 1911年8月15日 | ○ | ○ | ○ |
O21 | 滝谷不動 | たきたにふどう | 1.4km | 8.7km | 富田林市 | 1902年3月25日 | ○ | ○ | ○ |
O22 | 汐ノ宮 | しおのみや | 1.8km | 10.5km | 河内長野市 | 1911年8月15日 | ○ | ○ | ○ |
O23 | 河内長野 | かわちながの | 2km | 12.5km | 河内長野市 | 1902年12月12日 | ◎ | ◎ | ◎ |
2.歴史
近鉄長野線は1898年(明治31年)4月14日に河陽鉄道として古市~富田林間が開業した。1899年(明治32年)5月11日に河南鉄道が河陽鉄道の路線を継承した。1902年(明治35年)3月25日に富田林~滝谷不動間が延伸開業した。同年12月12日に滝谷不動~長野(現在の河内長野)が開業し全通した。1904年(明治37年)10月12日に富田林~滝谷不動間に学校前駅(現在の富田林西口駅)が開業した。1911年(明治44年)8月15日に西浦駅・宮前駅・川西駅・汐ノ宮駅開業した。1912年(明治45年)3月31日に学校前駅が廃止された。1917年(大正6年)1月9日に学校前駅が再開業した。
1919年(大正8年)1月1日に喜志駅を太子口駅に改称した。1月25日に太子口駅を太子口喜志駅に改称した。同年3月8日に河南鉄道が大阪鉄道に社名変更した。1920年(大正9年)4月16日に西浦駅・宮前駅・川西駅が廃止された。同年9月11日に廿山駅(現在の川西駅)が開業した。1923年(大正12年)10月16日に古市~長野間が電化された。同年12月28日に旭ヶ岡駅が開業した。1933年(昭和8年)4月1日に太子口喜志駅を喜志駅に、学校前駅を富田林西口駅に、廿山駅を川西駅に改称した。1943年(昭和18年)2月1日に関西急行鉄道が大阪鉄道を合併して同社の路線となった。1944年(昭和19年)6月1日に関西急行鉄道と南海鉄道の合併により発足した近畿日本鉄道の路線となった。
1945年(昭和20年)6月1日に旭ヶ岡駅・富田林西口駅が休止した。1946年(昭和21年)7月1日に富田林西口駅が営業を再開した。1954年(昭和29年)4月1日に長野駅を河内長野駅に改称した。1957年(昭和32年)10月18日に古市~喜志間が複線化された。1968年(昭和43年)9月26日から自動列車停止装置 (ATS) の使用を開始した。1974年(昭和49年)7月20日に喜志~富田林間の旭ヶ岡駅を廃止した。1982年(昭和57年)9月12日に川西駅付近を高架化した。
1987年(昭和62年)10月25日に喜志~富田林間が複線化された。1997年(平成9年)10月1日に乗降確認システム「フェアシステムK」が稼働を開始した。2001年(平成13年)2月1日に各駅でスルッとKANSAI対応カードの取り扱いを開始した。同年10月14日に各駅でJスルーカードの取り扱いを開始した。
2002年(平成14年)12月1日に列車運行管理システムKOSMOSの稼働を開始した。2007年(平成19年)4月1日から各駅でPiTaPa・ICOCAの利用が可能になった。2009年(平成21年)3月1日にJスルーカードの自動改札機・のりこし精算機での取り扱いを終了した。
3.路線ガイド
古市は2面4線で、長野線電車は主に2番線、4番線から発着している。古市を出ると南大阪線が左にカーブして分かれる。長野線はそのまま直進する。右手には古市検車区への線路が分岐する。国道170号線外環状線の下をくぐり、真っすぐ南下していく。南阪奈道路の下をくぐり、しばらく走って富田林市に入って2面2線の喜志となる。古市~喜志間は3.4㎞と駅間距離が長い。喜志は富田林よりも乗降客が多く、長野線の中間駅では一番乗降者数が多い。高校野球で名を馳せたPL学園高校は当駅が最寄駅となっている。富田林市外にはなるが、大阪芸術大学や太成学院大学などの最寄駅にもなっている。次の富田林も2面2線の構造で、河内長野方に折り返し線がある。朝夕ラッシュ時には富田林止まりの電車も運転されている。駅は富田林の市街地の中にあるが、利用者数では喜志に負けており、線内では2番目の乗降客数となっている。
- 古市
- 古市
- 古市
- 古市
- 古市
- 喜志
- 喜志
- 喜志
- 喜志
- 喜志
- 喜志
- 喜志
- 富田林
- 富田林
- 富田林
- 富田林
- 富田林
- 富田林
- 富田林
- 富田林
- 富田林
- 富田林
富田林から単線となり、次の富田林西口は1面1線で、富田林市役所への最寄駅となっている。富田林まで600mの距離となっているため、利用者は多くない。国道170号線の旧道と並行して走り、高架に上がって1面1線の川西となる。川西を出ると国道309号線を跨いで地上に下りる。しばらく走ると2面2線で交換設備がある滝谷不動となる。大阪大谷大学の最寄駅で、滝谷不動明王寺へは南東方向へ徒歩15分ほどの距離となっている。なお、南海高野線にも滝谷駅があるが、同駅は西へ3㎞程離れており、乗り換えができるような距離にはない。
河内長野市に入って1面1線の汐ノ宮となる。汐ノ宮はかつては2面2線だったが、棒線化されて1面1線となっている。同駅は長野線で一番利用者が少ない。駅周辺は汐ノ宮温泉郷と呼ばれる温泉地だった。現在も温泉を使った汐の宮温泉病院が駅の北側にある。国道170号線を跨いでしばらく走り、国道309号線を跨いで、右手から南海高野線が近づいてきてそれと並行して終点の河内長野に着く。河内長野は1面2線だったが、棒線化されて1面1線の使用となった。南海高野線との連絡駅で、ホームは並んでいるが、改札は別にある。南海高野線も同じ狭軌で、線路をつなげれば直通もできるが、線路はつながっていない。
- 富田林西口
- 富田林西口
- 富田林西口
- 富田林西口
- 富田林西口
- 川西
- 川西
- 川西
- 川西
- 川西
- 川西
- 滝谷不動
- 滝谷不動
- 滝谷不動
- 滝谷不動
- 滝谷不動
- 滝谷不動
- 滝谷不動
- 汐ノ宮
- 汐ノ宮
- 汐ノ宮
- 汐ノ宮
- 河内長野
- 河内長野
- 河内長野
- 河内長野
- 河内長野
- 河内長野
- 河内長野
- 河内長野