近鉄天理線ガイド【催事には数多くの団体臨時列車も走る】

8151F

1.概要

会社名 近畿日本鉄道
路線名 天理線
区間 平端~天理
営業キロ 4.5km
駅数 4駅
平均駅間距離 1.5km
所要時分 6分
表定速度 45km/h
軌間 1435mm
電気方式 1500V直流
線路 複線
保安方式 ATS
最高速度 90km/h
最大編成両数 6両

近鉄天理線は大和郡山市の平端と天理市の天理を結ぶ4.5kmの路線である。1500V直流電化で標準軌の複線鉄道となっている。平端で近鉄橿原線と接続しており、急行や普通が直通運転を行っている。天理ではJR桜井線と連絡している。

駅番号 駅名 よみがな 営業
距離
駅間距離 所在地 開業年月日
H32 平端 ひらはた 0km 大和郡山市 1922年4月1日
H33 二階堂 にかいどう 1.3km 1.3km 天理市 1915年2月7日
H34 前栽 せんざい 3.2km 1.9km 天理市 1915年2月7日
H35 天理 てんり 4.5km 1.3km 天理市 1915年2月7日

2.歴史

近鉄天理線は天理軽便鉄道として1915年(大正4年)2月7日にが新法隆寺~天理間が開業した。1921年(大正10年)1月1日に大阪電気軌道に買収され、同社の天理線となった。1922年(大正11年)4月1日に額田部~二階堂間に平端駅が開業した。新法隆寺~平端間が法隆寺線、平端~天理間が天理線となった。天理線を畝傍線(現在の橿原線)平端で接続。平端~天理間を標準軌に改軌し電化された。

1941年(昭和16年)3月15日に会社合併により関西急行天理線となった。1944年(昭和19年)6月1日に会社合併により近畿日本鉄道天理線となった。1945年(昭和20年)2月11日に法隆寺線近畿日本法隆寺~平端間が休止した。

1952年(昭和27年)4月1日に休止中の法隆寺線が廃止された。1964年(昭和39年)10月30日に天理駅が現在地に移転し、営業距離が0.2km短縮された。1968年(昭和43年)10月10日からATS自動列車停止装置の使用を開始した。

1969年(昭和44年)9月21日に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧した。1988年(昭和63年)6月27日に全線複線化された。2007年(平成19年)4月1日から各駅でICカードPiTaPa・ICOCAの利用が可能になった。

3.ガイド

平端は橿原線が2面4線で、天理線は別に2面2線のホームがあり、両線間は連絡通路を介しての乗り換えとなる。平端駅構内の大和西大寺方で橿原線と線路がつながっているため、同線への直通電車は天理線ホームからの発着となる。1・2番線が天理線ホームで、基本的には1番線が下り、2番線が上りと使い分けられているが、平端折り返しの電車は両ホームから発着できる。平端を出ると左にカーブして橿原線から離れていく。京奈和自動車道の下をくぐって天理市に入り1面2線の二階堂となる。駅舎とホームとは構内踏切を通って行き来する。天理線には京都から直通する急行の運転があるが、天理線内は各駅に停車する。このため定期列車では途中駅を通過する電車はない。天理へは天理教関連の団体列車の運転もあり、その類の列車は途中駅を通過する。次の前栽も1面2線で、二階堂と違い駅舎とホームは地下道を介して行き来する。右手に天理大学のキャンパスを見ながら走り、天理の市街地に入って前方にJR桜井線の立派な高架橋が見えると終点の天理となる。天理は4面3線のターミナル構造の駅で、JR桜井線天理駅の高架下に直角で交わっており、頭端部や改札部分はJRの高架下に位置している。駅構内が列車本数に比して広いのは前述したように天理教関連の臨時列車の運転があるためだ。

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