4.JR東西線開業~1997年3月8日ダイヤ改正~
1997年3月8日にJR東西線が開業した。本線系統のダイヤも大きく変わり、新快速・快速が尼崎に停車するようになった。これにより本線から東西線方面への連絡強化が図られた。また、新快速は高槻に終日停車となり、通勤時間帯を中心に高槻からの輸送力が大幅に強化された。同年3月2日には並行する阪急京都線もダイヤ改正を実施し、遅まきながら特急を高槻市に終日停車とした。これによりJR高槻-阪急高槻市のガチンコ対決の様相となった。しかし、高槻では大阪・梅田までの所要時分で明らかに阪急は不利になっており、運賃面でもJRより高かったこともあり、高槻市の特急終日停車実施はJRから利用者を奪うというよりもJRへの利用者の流出を防ぐという意味合いの方が強かったように思われる。
223系1000番台が8連5本、4連1本増備され、データイムの新快速は2本に1本が同車での運転となった。但し、221系のように大量増備ではなく、少数ロットの増備だったので、運転区間は近江今津~姫路、草津~姫路の2系統に運用され、長距離を走る長浜までの新快速には従来どおり221系が使用された。また、223系1000番台増備により221系の快速運用が増え、データイムの快速は全て221系での運転となった。
普通は高槻~神戸間の系統と高槻~尼崎間・松井山手~西明石間の系統に分けられた。JR東西線への直通は普通のみで、快速の直通はJR宝塚線からのみとなった。これは現在でも継続されており、JR神戸線から東西線への直通快速は定期列車では未だ実現していない。東西線開業前に207系は1000番台が大量に増備され、0番台とともに大規模な編成の組み替えが行われた。207系は試作車のF1編成を除いて全て4両編成と3両編成に組まれ、学研都市線松井山手での分割併合に対応した編成となった。また、同時に東西線乗り入れ仕様として2パンタ化改造も行われた。東西線開業により207系は0番台も1000番台も東西線優先の運用が組まれたため、尼崎以東の本線に姿を現すことは稀になった。これにより京阪神緩行への1000番台投入時に計画されたデータイム6連、ラッシュ時8連での運用は脆くも崩れ去り、以降京阪神緩行は全て7両編成での運転に戻った。
1997年3月8日のダイヤ改正は、東西線開業に伴うダイヤ改正とも言えたが、実質的には様子見の部分もあり、同年9月1日に再度ダイヤ改正を行い、JR宝塚線普通と尼崎止まりで運転されていたJR京都線普通の1本化が行われた。これにより大阪~尼崎間での普通の重複がなくなり、運転本数は減ったものの車両運用の効率は上がった。尼崎でJR東西線直通の普通とJR宝塚線直通の普通が接続を取るようになった。また、京都駅ビル開業に伴い、高槻止まりの普通のうちの半分を京都まで延伸して、高槻~京都間では高槻以東各駅に停まる快速とともに7~8分毎の運転が実現した。同改正から201系・205系がJR宝塚線にも入るようになったが、逆にラッシュ時には本線からは一旦姿を消していた103系が再び姿を現すようになった。
本線での103系の運用は以降207系2000番台投入まで続いていった。
1998年2月15日に、阪神・山陽の直通特急の運転が開始された。神戸以西でJRに苦しめられ、苦境に喘ぐ山陽電鉄と阪神間で同じくJRに苦しめられていた阪神が手を結び直通運転を行うことになった。同じく神戸高速鉄道を介して山陽と線路がつながっている阪急は逆に山陽との直通を中止して、阪急神戸線の全列車を8両以上での運転として混雑の平準化を図った。かつては阪急と阪神と言えば水と油の関係で、国鉄などは眼中になく、2社で阪神間の輸送を競争してきた宿命のライバルだった。この2社が接近し始めたのは阪神淡路大震災後で、ともにJR神戸線より復旧に手間取り、その間に漁夫の利を与えてしまったということから、2社が協力して対JRの対策を取るようになった。具体的な展開としては1996年3月にストアードフェアシステムの共通化を図り、阪急で阪神らくやんカード、阪神で阪急のラガールカードが使えるようになった。また、1996年10月からは、梅田~三宮以西の定期券について、阪急梅田・阪神梅田・阪急三宮・阪神三宮で乗降できるシステムを構築して、阪急、阪神のどちらでも利用できるようにして利便性を拡大した。そして1998年2月15日のダイヤ改正では阪神が山陽と直通運転の拡大を行い、阪急は全て新開地止まりとなり、山陽との直通は中止した。以前は阪急と阪神が覇を競い合って、山陽も絡めたダイヤの調整がつかない状態だったが、2社の協力により阪神・山陽の直通ダイヤがすんなり組むことができた。それもこれも憎きJRを倒すための施策と言えた。もっとも阪神山陽直通特急は名目的にはJRに対抗するためということもあったが、実際にはJRには手も足も出ない代物で、梅田から山陽電鉄沿線への輸送云々よりもJRがフォローしきれない阪神沿線と山陽電鉄沿線を結ぶ特急という意味合いの方が強かった。このため、停車駅は従来の線内運転の特急と大して変わらず、所要時分も阪神梅田~山陽姫路間最短87分とJRの新快速よりも10分以上遅い鈍足特急だった。
直通特急に対するJRは特にこれといった対抗策をしていないが、1998年3月14日のダイヤ改正で、明石海峡大橋開業に伴う舞子への快速停車を実施した。対する山陽は舞子公園は普通しか停まらず、2月15日より運転を開始した直通特急は通過していた。これにより舞子での明石海峡大橋淡路島連絡についてはJRの圧勝となり、舞子と舞子公園では乗降客数にかなりの開きが出ることになった。後年山陽も直通特急を舞子公園に停めるようになったが、この状況はほとんど変わっていない。JR神戸線では1998年10月3日にもダイヤ改正が行われ、須磨止まりとなっていた緩行を全て西明石までの運転とした。これにより須磨以西の各駅で最低15分サイクルに2本の電車が来るようになった。快速と緩行は須磨で緩急接続を行うので、快速停車駅も15分サイクルに2本の輸送力を確保することになった。対する山陽電鉄本線は直特停車駅は15分サイクルに2本の利用ができるが、直特と普通が山陽須磨で緩急接続を行うので、実質的にはどの駅も15分に1本の運転となっており、フリーククェンシー面でもJRに大きく見劣るようになった。