阪急宝塚線ではJRが発足する前の1986年12月14日にダイヤ改正が行われ、データイムダイヤが急行・普通が15分毎の運転から急行・普通が10分毎の運転となった。15分毎の時代には急行と宝塚行きの普通、池田行きの普通がそれぞれ15分毎に運転されていたが、10分毎になって、宝塚行きの急行と雲雀丘花屋敷行きの普通がそれぞれ10分毎の運転となった。同改正で平日朝ラッシュ時上りを除いて急行が豊中に停車となった。
この後、10分毎のダイヤを維持していった。1995年6月4日にダイヤ改正が行われ、朝ラッシュ時に特急を新設した。それまで宝塚線では正月などに臨時特急を運転していたが、定期列車としては初めての運転となった。特急の停車駅は、宝塚から川西能勢口、石橋、十三、梅田で、急行と比べてもかなり停車駅が厳選されたものだった。とは言えこの特急は朝ラッシュ時の上りのみに限られていたため、実質的には急行主体のダイヤに変わりはなかった。
1997年11月17日ダイヤ改正では川西能勢口駅の高架化が完成し、能勢電鉄との直通運転が始まった。朝夕ラッシュ時に特急日生エクスプレスが梅田~日生中央間に3往復新設された。日生エクスプレスは8000系を使用し、川西能勢口方2両はセミクロスシートとなっている車両を神戸線からも転属させて使用した。また、特急の停車駅に雲雀丘花屋敷が追加された。豊中付近の高架化が完成し、豊中駅のホーム有効長が10連対応になったため、急行は豊中に終日停車となった。
2000年6月4日にもダイヤ改正が行われ、三国駅付近高架化に伴い、急カーブが緩和されて、最高速度が100km/hに引き上げられ、各列車のスピードアップが行われた。データイムにも特急が設定され、梅田~宝塚間に20分毎の運転となった。特急の停車駅は、梅田から十三、豊中、石橋、池田、川西能勢口、山本、宝塚。データイムは特急と急行が20分毎に運転され、普通も特急運転に伴い、宝塚行きと雲雀丘花屋敷行きがそれぞれ20分毎に運転された。平日朝ラッシュ時に運転されていた特急は停車駅はそのままで通勤特急に種別が変えられ運転を継続した。このあたりからJR宝塚線対策とも言えるダイヤが組まれているが、所要時間では太刀打ちできず、のちにダイヤが迷走していく序章とも言えるダイヤだった。
2003年8月30日ダイヤ改正では、データイムの特急、急行を快速急行に置き換え、20分サイクルのダイヤから10分サイクルのダイヤに戻された。快速急行の停車駅は梅田から十三、豊中、蛍池、石橋、池田、川西能勢口、雲雀丘花屋敷、山本で、これを補完するため、普通は全て宝塚まで運転された。同改正では平日朝夕ラッシュ時に運転されている特急日生エクスプレスが増発され、3往復から7往復になった。日生エクスプレスはそれまで8000系が限定運用されていたが、増発により6000系も能勢電直通対応に改造されて運用された。
2006年10月28日ダイヤ改正では、データイムダイヤが変更され、急行と普通が10分毎に運転される2000年6月4日ダイヤ改正以前のダイヤに戻された。急行は蛍池にも追加停車となり、豊中以遠各駅に停車となった。普通は雲雀丘花屋敷行きとなり、上下とも終点まで先着となった。データイムダイヤは結局元の鞘に収まる形で急行と普通が10分毎の運転となり、現在に至っている。
2015年3月21日ダイヤ改正では平日朝ラッシュ時のダイヤが変更され、通勤急行、通勤準急の運転がなくなり、急行が朝ラッシュ時にも運転されるようになり、全て8両編成で運転されることになった。特急日生エクスプレスの10連運転も取り止め、川西能勢口での停車時分を短縮してスピードアップを図った。輸送力列車として川西能勢口始発の通勤特急が新設され、この列車が10両編成で運転された。ATSの改良により各列車が秒単位で短縮されることになった。2000年以降データイムダイヤは3度にわたり大きな変更が行われており、混迷を深めていたが、2006年10月28日のダイヤ改正以降の11年はダイヤが変わっておらず、落ち着きを取り戻した感があり、今後もこのダイヤを維持していくものと思われる。ラッシュ時に関しては、将来的には10連運転を取り止める公算は大である。宝塚でのJRとの競争はあきらめた感もあり、今津線経由準急も含めて着席乗車に力を入れていく方向になるだろう。