【京阪間ノンストップ特急の牙城を崩した宇治線連絡駅】
京阪本線中書島駅は、京都市伏見区にある。京阪宇治線を分岐する結節点で、以前は宇治線から京都方面への直通運転も行われていたが、現在は定期列車での宇治線直通はない。1993年1月30日のダイヤ改正から平日朝ラッシュ時下り特急の停車が開始され、2000年7月1日のダイヤ改正から終日特急停車となった。
中書島駅は1910年(明治43年)4月15日に京阪本線開通とともに開業した。1913年(大正2年)6月1日に京阪宇治線開業。駅を移設して乗換駅となった。1914年(大正3年)8月25日に京都電気鉄道伏見線(後の京都市電)が当駅まで延伸された。1916年(大正5年)4月1日に急行停車駅となった。1917年(大正6年)10月1日に大正水害により淀〜中書島駅間の堤防が破損し京阪本線・宇治線が不通となった。同年10月11日に三条〜中書島間運転再開。同月18日淀〜中書島間が復旧し運転を再開した。1943年(昭和18年)10月1日に会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となった。1949年(昭和24年)12月1日に会社分離により京阪電気鉄道の駅となった。1951年(昭和26年)5月15日に駅構内配線を一部変更した。1953年(昭和28年)9月25日に台風13号で宇治川堤防が決壊、隣接する京阪伏見変電所が浸水して京阪線・宇治線共に運行不能となった。10月1日に運行を再開した。1965年(昭和40年)2月25日に3番線ホームを廃止した。1967年(昭和42年)1月28日に構内地下道使用開始、構内踏切を廃止した。それまでの4番線→3番線、5番線→4番線に呼称を変更した。1970年(昭和45年)4月1日に京都市電伏見線(塩小路高倉~中書島)が廃止された。1975年(昭和50年)4月3日 に駅舎改造工事が完成した。1984年(昭和59年)6月2日に駅舎が改築された。1989年(平成元年)9月27日に構内跨線橋が完成した。1993年(平成5年)1月30日ダイヤ改正で平日朝ラッシュの淀屋橋行き特急6本に限り停車するようになった。1996年(平成8年)4月1日に構内跨線橋とホームの間にエレベーター3基を設置した。2000年(平成12年)7月1日ダイヤ改正で特急終日停車駅となった。2003年(平成15年)9月6日ダイヤ改正で中書島〜三条(出町柳)区間運転列車が平日朝の1本のみとなり、4番線発着列車が大幅に減少した。2004年(平成16年)8月9日に駅南側にバスターミナル開設に併せて、南改札口新設された。2005年(平成17年)5月30日に駅前広場が完成した。2006年(平成18年)4月16日ダイヤ変更で、中書島〜三条間の区間運転列車が全廃され、淀駅の仮移転に伴う臨時電車の待機場所に4番線が使われるようになった。2012年(平成24年)4月に駅舎リニューアル工事が竣工し、けいはんインフォステーションを新設した。
ホーム3面4線で、京阪本線、宇治線ともに2面2線を使用している。京阪本線下りホームと宇治線ホームが共用されており、京阪本線上りホームと宇治線ホームが単独の対向式ホームになっている。京阪本線上りから1番線になっており、下り線が2番線、宇治線ホームが3、4番線となる。
宇治線3番線は京阪本線下り線と出町柳方でつながっており、かつては京都方面直通の電車がここを通っていた。現在は車両の送り込み、入庫に使用されるのみとなっている。
宇治線3番線は淀屋橋方でも京阪本線下り線とつながっている。4番線は淀屋橋方で引き上げ線になっており、本線の臨時列車などがここで待機することがある。
宇治線は宇治方にも引き上げ線が設けられている。かつては昼間にここで待機する車両があったが、現在は使われていない。
2・3番線ホームには立ち食いそばの麺座が店舗を構えている。
改札は2ヶ所あり、北口がメインの改札となっている。駅舎は地上駅舎で、北口は上り線ホームの淀屋橋方にある。各ホームへは連絡橋と地下道で結ばれている。
南口改札は、宇治線4番線の淀屋橋側にある。
北口も南口も駅前は狭く、南口にバス乗り場が設置されている。北口はバスの乗り入れはなく、周辺の道路は狭い。
伏見といえば幕末の中心地でもあり、中書島駅でも坂本龍馬の写真をあちこちで見かける。また、酒蔵としても有名で、北口には坂本龍馬とともに米俵が置かれている。
中書島駅の2015年度1日あたりの乗車人員は6,011人で、うち定期利用者は2,795人である。定期比率は46.5%で、定期利用者は多くない。10年前の2005年度は、乗車人員が5,058人で、定期利用者は2,592人だった。全体で18.9%、定期利用者も7.8%増加しており、定期外利用者に至っては30.4%も増加している。
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