阪急京都線のデータイムダイヤは、1989年12月16日のダイヤ改正により従来からの15分サイクル20分サイクルに変更された。この時特急が毎時4本から毎時3本に減便されたので、当時躍進を始めていたJR西日本の新快速や新型車両を投入した京阪特急と比較され、阪急特急減速というような新聞記事も見られた。ダイヤ改正時には新快速はまだ高槻に停車していなかったので、新快速を意識したダイヤではなかったと思われる。高槻や茨木での競合を意識して急行を15分毎から10分毎に増発したのではなかろうか。特急の減便については昼間だけなので、JRとの競合で京阪間の需要が減ったというわけではなく、データイムは20分毎でも事足りるということだったのだろう。現に利用が多い土休日のダイヤでは15分サイクルのままとなっていたので、JRの影響で特急が減便となったわけではないはずだ。
翌1990年3月10日のダイヤ改正からJRの新快速がデータイムに限り高槻に停車するようになった。この影響は言うに及ばず阪急にとっては後々にまでも響くぐらい大きな痛手となった。新快速の高槻と芦屋停車は並行私鉄に大きな脅威を与えた。新快速の高槻停車に対して阪急では特に何も手は打っていない。急行の増発で中間駅の利便性は確保したので、それで受けて立つというのが阪急の姿勢だったと言える。ただ、先述したとおり、新快速は並行私鉄が思っている以上に力を付け、利用者に支持されるようになっていった。大阪〜高槻間は快速よりも5分ほど速い15分で結び、梅田〜高槻市間の阪急急行の25分よりも10分も速く走っていた。この差は大きく、高槻では快速と合わせて本数の上でもJRが阪急を圧倒し、駅の立地条件が近かったこともあり、高槻市では利用者のJR転移が進んでしまった。
茨木市でも阪急の急行よりも速い快速と阪急の急行とほぼ同じ所要時分で走る普通が毎時12本運転されていることやJRの電車特定区間の格安の運賃設定と阪急の度重なる運賃値上げなどにより運賃格差が生じ、ここでも利用者の転移が見られた。茨木市の場合、JR茨木とは1キロほど離れており、利用者の減少は高槻市ほどではなかった。このため高槻市の利用者減により、茨木市の乗降客数と高槻市の乗降客数がほぼ同数になるという奇妙な現象が起こっている。ちなみにこの当時の高槻市の人口は約35万人、茨木市は約26万人だった。
JRの新快速は90年代に入り、さらに成長していく。221系の投入、115km/h運転を経て、一部の時間帯を除き221系への統一が行われた1991年には120km/h運転も開始した。これに対しての阪急の施策は特になかった。京阪間を結ぶ特急は新快速と競合しているものの、京都方のターミナルの立地条件が違うこともあり、本腰になって新快速対策は行わなかったと言える。中間駅に関しても事前に手を打った急行の10分毎化以上の手はしばらく打たなかった。
1993年2月21日に高槻市、茨木市両駅の連続立体化事業完了に伴うダイヤ改正を行い、特急及び急行のスピードアップを実施した。昼間時のダイヤパターン、停車駅は1989年改正からは特に変わっていない。特急の所要時分は梅田~河原町間で上りは39分となり、40分を切るダイヤに戻った。
この改正においてもJR対策と言うのは特に見当たらず昼間時の高槻市、茨木市等の中間駅は急行で対処する形を取っている。この時点で特急を高槻市に停めても20分毎の運転の為、15分毎でなおかつ阪急よりも速いJR新快速には敵わないが、京阪間ノンストップの特急をJRに対抗して高槻市に停めたとなれば、その時点ではそれなりにインパクトがあったと思われる。
この後地下鉄堺筋線の天下茶屋延伸や関空開業による天下茶屋ルートの確立など外部的な変化やラガールカードの普及、スルッと関西への加入などソフト面での変化は大きかったが、ダイヤ面ではしばらく現状維持を続けていくことになる。その間にJRは成長を続け、頭打ちと見られた時期に阪神大震災が起きた。この時、いち早く復旧したJRが、復旧が遅れた阪急や阪神、山陽などから利用者を奪っていった。この影響は基本的に阪急では神戸線のみと言えるが、京都線や宝塚線も少なからず影響を受け、阪急衰退の大きな要因となったと言っても過言ではない。また、阪神大震災を境に神戸をはじめとする関西圏と首都圏との格差が明確になり、関西圏が一地方都市の集まりとなった感が強くなってきている。関西圏の経済規模の縮小が阪急電鉄他の私鉄に打撃を与えているのも阪急衰退の大きな要因と言える。もちろん世間一般に言われる少子高齢化や雇用環境の変化による通勤客の減少、よりいっそうのモータリゼーションなども大きな影響を与えている。
震災後神戸線や宝塚線では新ダイヤで震災復興とJRへ対抗したが、このあたりから都市間直行輸送重視から中間駅からターミナルへのフィーダー輸送を重視するようになっていった。
阪急京都線データイムダイヤ1993年2月21日改正 | ||||
時間帯 | 列車種別 | 運転区間 | 下り | 上り |
梅田発着10時台~15時台 | 特急 | 河原町-梅田 | 3本 | 3本 |
急行 | 河原町-梅田 | 6本 | 6本 | |
普通 | 河原町-梅田 | 6本 | 6本 | |
高槻市-天下茶屋 | 3本 | 3本 | ||
北千里-梅田 | 3本 | 3本 | ||
特急停車駅 烏丸、大宮、十三 | ||||
急行停車駅 烏丸、大宮、西院、桂、長岡天神、高槻市、茨木市、淡路、十三 |
京都線でも遅ればせながら1997年3月2日のダイヤ改正で特急の高槻市停車を実施した。また、長らく手付かずだったデータイムダイヤのテコ入れも行われ、普通の運転本数の見直しを行い、高槻市までの各駅と茨木市、淡路、十三に停まる快速を20分毎に運転した。特急、急行は従来通りの運転パターンで、普通は梅田~河原町間、梅田~北千里間、天下茶屋~高槻市間がそれぞれ20分毎の運転となった。この改正により、データイムの梅田~高槻市間の優等列車は毎時12本となり、特急3本、急行6本、快速3本が運転され、JRへの対抗姿勢が漸く見られた。ただ、この時点では、時既に遅しといった情勢で、今更特急を高槻市に停めたところで何の効果もないという感じがしないでもなかった。このダイヤは2001年3月24日の改正までおよそ4年間続いたが、その後のダイヤ展開を見る限り、1997年時点のダイヤはうまく機能しなかったと言わざるを得ない。
1997年ダイヤでは特急は上り河原町行きは39分を維持していたが、下り梅田行きは途中急行の追い抜きをやめたこともあり、所要時分が44分に延びてしまった。2001年3月24日のダイヤ改正では大宮通過はあっても茨木市、長岡天神、桂の3駅に追加停車して下り特急の所要時分が44分となっているので、停車駅が2駅増加しても所要時分が変わらないという奇妙な現象が起きている。これは後の2007年3月17日改正後の淡路追加停車後も下り特急は44分を維持しており、1997年以降の下り特急ダイヤが如何に寝ていたかを如実に現す結果となった。
上り特急は1997年ダイヤの39分が最短で、以降2001年3月ダイヤで42分に3分後退。2007年3月ダイヤでさらに1分後退となり、現行ダイヤでは1997年ダイヤに比べて4分後退の43分となっている。阪急京都線の特急は停車駅が増えて遅くなったと京阪間直通利用者からは不評だが、実際遅くなったのは上りのみで、下りは1997年以降所要時分に関しては現状維持が続いている。過去20年のダイヤと現行ダイヤを比べると15分サイクルの時点から見れば全体的に本数は増加している。かつてのダイヤは優等列車と普通の割合が1対1だったが、1997年ダイヤからその比率が2対1となった。これは梅田~高槻市間の比率で高槻市以東では15分サイクル時が優等対普通が2対1、20分サイクル変更後が同3対2となっており、2001年ダイヤから1対1となった。高槻市以西では優等が増えて、高槻市以東では優等が減ったが、中間駅重視の政策から見れば高槻市以東でも利便性の均等化が図られた。
優等列車を基準としたフリークェンシーの増減については下記の表を参照して頂きたい。優等列車の質はともかく、通過運転を行う列車を優等と見なすと高槻市以西で優等列車のフリークェンシーが拡大され、高槻市以東では特急と急行の統合により長岡天神、桂と烏丸及び終点の河原町でフリークェンシーによる格差がなくなったのがよくわかる。また、京都方では特急通過となった西院、大宮のフリークェンシーの落ち込みが大きい。京阪間直行の特急の実質廃止とかつての急行への統合が進んだ結果、データイムに関してはかつての急行停車駅ではフリークェンシーが大幅に向上し、京阪間直通輸送も所要時分は若干延びてしまったものの特急と急行の2本体制だった時代に比べて平均所要時分は上がっておりフリークェンシーは向上している。
阪急京都線データイムダイヤ1997年3月2日改正 | ||||
時間帯 | 列車種別 | 運転区間 | 下り | 上り |
梅田発着10時台~15時台 | 特急 | 河原町-梅田 | 3本 | 3本 |
急行 | 河原町-梅田 | 6本 | 6本 | |
快速 | 河原町-梅田 | 3本 | 3本 | |
普通 | 河原町-梅田 | 3本 | 3本 | |
高槻市-天下茶屋 | 3本 | 3本 | ||
北千里-梅田 | 3本 | 3本 | ||
特急停車駅 烏丸、大宮、高槻市、十三 | ||||
急行停車駅 烏丸、大宮、西院、桂、長岡天神、高槻市、茨木市、淡路、十三 | ||||
快速停車駅 高槻市までの各駅、茨木市、淡路、十三 |
フリークェンシーに関して並行するJRとの比較を表にしているのでそれも参照して頂きたい。優等列車の本数を基本に先着する電車の本数を加えてフリークェンシー度の比較をしている
。これに所要時分を組み合わせて相対的な利便性も割り出していけるが、とりあえずここではフリークェンシーの比較をしたい。全体的に見ればここでも高槻市以西と高槻市以東で阪急もJRもフリークェンシーの格差が生じている。
所要時分については先述したとおり特急は遅くなった。京阪間直通の利用者については確かに以前に比べて所要時分が延びて不便にはなった。但し、1989年以前は15分毎、1989年~2001年までは20分毎の運転だったので、2001年以降の10分毎への増発により待ち時間は大幅に減少した。1989年~2001年ダイヤでは特急を逃すと2~3分後続の急行利用となりフリークェンシーの面では決して便利なダイヤではなかった。停車駅を増やしたものの運転間隔を詰めて平準化したのが2001年ダイヤと言える。
データイム優等列車中間駅停車本数一覧 | |||||
駅名 | 1989年以前 | 1989年ダイヤ | 1997年ダイヤ | 2001年ダイヤ | 2007年ダイヤ |
十三 | 8本 | 9本 | 12本 | 12本 | 12本 |
淡路 | 4本 | 6本 | 9本 | 6本 | 12本 |
上新庄 | 0本 | 0本 | 0本 | 0本 | 6本 |
南茨木 | 0本 | 0本 | 0本 | 6本 | 6本 |
茨木市 | 4本 | 6本 | 9本 | 12本 | 12本 |
高槻市 | 4本 | 6本 | 12本 | 12本 | 12本 |
長岡天神 | 4本 | 6本 | 6本 | 6本 | 6本 |
桂 | 4本 | 6本 | 6本 | 6本 | 6本 |
西院 | 4本 | 6本 | 6本 | 0本 | 0本 |
大宮 | 8本 | 9本 | 9本 | 0本 | 0本 |
烏丸 | 8本 | 9本 | 9本 | 6本 | 6本 |
阪急京都線データイムダイヤにとってエポックメイキングとなったのが2001年3月24日ダイヤ改正だ。1997年改正も大規模な改正と言えたが、2001年改正はそれ以上のインパクトがある改正だった。これまでテコ入れがほとんど見られなかった特急にメスが入り、停車駅がそれまでの常識では考えられないぐらい増えた。1997年改正では高槻市への終日停車が漸く実現したところだが、2001年改正では茨木市、長岡天神、桂の3駅が停車駅に追加された。これではほとんど急行と同じ停車駅になると言うことで、急行は南茨木の追加停車と高槻市以東各駅となった。特急と急行を10分毎に運転することで完全な10分サイクルが実現し、高槻市以東では特急、急行の2本立ての運転となり、15本/hから12本/hに本数を減らしてコストダウンも図られた。なお、特急は3駅追加停車を行ったが、代わりに利用者が減っているという理由で従来停車していた大宮が通過となった。この前代未聞の処置についてはファンや利用者の間で賛否両論があり、長らくネット上などでも議論の的となったほどである。特急の大宮通過は2007年以降も継続しており、ラッシュ時の通勤特急停車も同じく継続しているので、大宮については昼よりも朝夕夜の方が便利という現象は今でも続いている。
普通は1997年ダイヤからあまり変わっていないが、高槻市以東各駅に停まる急行が10分毎となったため、全ての普通が高槻市止まりとなった。梅田発と天下茶屋発が交互運転の20分毎の運転は相変わらずで、これが禍根となって2007年改正での準急設定になったのではないかと思われる。
2001年ダイヤでの特急の所要時分は梅田~河原町間が上り42分、下り44分で、上りは97年ダイヤに比べて3分ダウン、下りは現状維持となった。京阪間直行輸送では後退した感は否めない。その分をフリークェンシーアップでフォローした格好になった。中間駅ではスピードアップとともにフリークェンシーが確保され、茨木市では所要時分15分の特急が10分毎の運転となり、所要時分12分の快速があるもののフリークェンシーで劣るJRに対してほぼ対等のダイヤが組まれるようになった。茨木市では急行も利用できるためフリークェンシーは大幅に向上した。
高槻市でも新快速の所要時分には遠く及ばないものの、快速と同等の所要時分の特急が10分毎となり、若干ではあるが競争力が上がった。長岡天神でも15分毎であまり速くない快速に対して、同等の所要時分の特急が10分毎に走る阪急が競合上有利に立った。よく京阪間ノンストップで走っていた阪急京都線特急と比較して、現在の特急は停車駅が多すぎてJRに対抗できないと言うような声が聞かれるが、実際には京阪間で所要時分の面で若干後退した点はあるものの、フリークェンシーの向上、中間駅でのスピードアップなどでJRに対して有利になった点も多い。2007年以降もこのダイヤを大きく崩さずに特急は淡路の追加停車以外は特に変化なしという状態になっているのはある程度成功を収めているという証拠なのかもしれない。但し、淡路への停車というのは若干引っかかるところがあり、梅田、十三では立ち行かないから淡路から堺筋方面、千里方面への連絡強化を図るという面もあるように思う。
阪急京都線データイムダイヤ 2001年3月24日改正 | |||||
時間帯 | 種別 | 運転区間 | 運転間隔 | 下り | 上り |
梅田発着10時台~15時台 | 特 急 | 河原町-梅田 | 10分毎 | 6本 | 6本 |
急 行 | 河原町-梅田 | 10分毎 | 6本 | 6本 | |
普 通 | 高槻市-梅田 | 20分毎 | 3本 | 3本 | |
高槻市-天下茶屋 | 20分毎 | 3本 | 3本 | ||
北千里-梅田 | 20分毎 | 3本 | 3本 | ||
データイム1時間あたり合計本数 | 18本 | 18本 | |||
特急停車駅 烏丸、桂、長岡天神、高槻市、茨木市、十三 | |||||
急行停車駅 高槻市までの各駅、茨木市、南茨木、淡路、十三 |