【大阪環状線プロジェクトの産物がホームに!旧駅名板が物語る駅の歴史】
JR大阪環状線寺田町駅は、大阪市天王寺区にある。天王寺から内回り電車で1駅で、駅周辺は下町情緒あふれる商店街がある。関空紀州路快速、大和路快速なども停車するが、天王寺~大阪間は各駅に停車するため、実質的には各駅停車と同じである。大阪環状線東部は、全て各駅に停まる電車しか走らないため、寺田町駅を通過する定期列車はない。
寺田町駅は1932年(昭和7年)7月16日に国鉄城東線の天王寺〜桃谷間に新設開業した。1961年(昭和36年)4月25日に城東線の路線名称変更により大阪環状線所属となった。1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となった。2003年(平成15年)11月1日にICカードICOCAの利用が可能となった。2015年(平成27年)3月22日に発車メロディが導入され、韻シストのLife Goes Onが採用された。同年8月28日に駅の改修工事中に壁から手書きの駅名標が発見された。2016年(平成28年)5月29日に手書きの駅名標の復元が完成した。
ホーム2面2線で、高架駅ではあるが、改札は地上にある。1駅先には南の巨大ターミナル天王寺が控えているが、駅周辺は下町の風情が残る。
改札は北口と南口の2ヶ所がある。メインの改札は北口で、周辺には飲食店の店舗が建ち並んでいる。
寺田町駅や大阪環状線の各駅は、高架下に駅舎がある古いタイプの高架駅。高架の支柱が歴史を物語ってくれる。
駅の目の前を国道25号線が走るため、北口駅前は意外に狭い。出口付近は歩行者が通れるのみ。
南口は人通り、車通りは少ないが、東側に商店街が広がっている。
高架下に大衆食堂があるのも大阪環状線の下町の風情として当たり前の光景。どこにでもある光景だが、耐震の問題など今後の課題は多い。
外回りホームには、旧駅名板があり、保存されている。大阪環状線改造プロジェクトの副産物で出て来た旧駅名板。すっかり同プロジェクトの目玉となっている。
寺田町駅の2014年度の1日あたりの乗車人員は、16,362人で、うち定期利用は10,506人となっている。定期比率は64.2%で、10年前の2004年度よりも定期比率は上がっている。駅周辺には大阪教育大附属高校、中学校、生野工業、興国高校などがあり、それらの生徒の利用も多い。
寺田町駅では、データイムに関空紀州路快速、大和路快速、環状普通がそれぞれ15分毎に運転されている。一部時間帯にはユニバーサルシティ方面桜島行きも加わるが、基本形はこの3種による毎時12本の運転となっている。関空紀州路快速、大和路快速は、天王寺~京橋~大阪間は各駅に停車する。快速は、天王寺出発時点では、普通の幕を表示しているが、天王寺~寺田町間で幕を回して、関空紀州路快速、大和路快速に変身する。
平日朝ラッシュ時は、7時台の内回りが15本、8時台の内回りが18本の運転で、環状運転や桜島線直通が増える。7時台の外回りは15本、8時台の外回りは18本の運転で、こちらも同様に環状運転と天王寺止まりの運転が増える形になっている。快速は朝ラッシュ時には、大和路線直通が区間快速、阪和線直通が直通快速となり、環状線内は各駅に停車する。平日夕方ラッシュ時は、18時台、19時台の内回りが16本、18時台、19時台の外回りが20本の運転となっている。夕方ラッシュ時は、関空紀州路快速はデータイム同様の運転で、概ね15分毎の運転、大和路線直通は区間快速となり、こちらも15分毎の運転となっている。最終電車は、内回りが寺田町発0時21分の大阪行き、外回りが寺田町発0時29分の天王寺行きとなっている。外回り最終は、天王寺で、阪和線最終の普通鳳行き、大和路線最終の普通王寺行きと連絡している。内回り最終は、大阪での各線への連絡は、最終電車の繰り上げにより、現在はなくなっている。
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