特急しらさぎ・加越変遷

681系しらさぎ

681系しらさぎ

1964年10月1日ダイヤ改正で、東海道新幹線開業に合わせて名古屋~富山間に北陸本線経由で特急しらさぎ1往復が新設された。実際には481系落成が間に合わず同年12月25日からの運転開始となった。
1968年10月1日ダイヤ改正で、しらさぎ1往復が増発され、名古屋~富山間で2往復の運転となった。また、この頃から485系が登場し、481系と混用されるようになった。1971年4月26日ダイヤ改正では1往復増発され3往復体制となった。1972年3月15日ダイヤ改正ではさらに1往復増発され、4往復体制となった。この増発列車は名古屋~富山間の急行こがね・しろがね廃止分の置き換えとなった。

485系パノクロ連結しらさぎ

485系パノクロ連結しらさぎ

1975年3月10日ダイヤ改正で、湖西線が開業し、北陸本線特急のダイヤが改変された。これに伴い、米原~金沢、富山間に特急加越を6往復新設した。また、しらさぎは2往復増発されて6往復体制となり、自由席の連結を行い、エル特急となった。1978年10月2日ダイヤ改正では特急しらさぎにて運用されていた581・583系の運用が終了した。
1982年11月15日ダイヤ改正では特急加越が1往復増発され、7往復体制となった。1984年12月12日には特急しらさぎの食堂車の営業が休止となり、翌1985年3月14日ダイヤ改正でしらさぎへの食堂車連結がなくなった。同改正では特急加越が急行くずりゅう1往復を格上げして8往復での運転となった。しらさぎ6往復、加越8往復の運転体制でJR発足を迎えることになった。

485系加越

485系加越

1988年3月13日ダイヤ改正で、米原~金沢間で速達特急きらめき1往復が運転を開始した。全車指定の4両編成でグリーン車を連結しないモノクラス編成が使用された。長岡~金沢間に新設された特急かがやきと共通運用され、車両は奇抜な塗装が施され、かがやき・きらめき編成と呼ばれるようになった。きらめきの停車駅は福井のみで、従来全列車が停車していた敦賀を通過するなど速達化を前面に出した列車となった。これはスーパーかがやき、後に登場するスーパー雷鳥も同様でJR発足当時の速達列車の原型とも言うべき姿を造り上げた。あさひかがやき、ひかりきらめきというフレーズで新幹線とセットでゴロのいい宣伝文句も用意され、東京対北陸の輸送改善の一躍を担った。

489系臨時しらさぎ

489系臨時しらさぎ

1989年3月11日ダイヤ改正では加越2往復がしらさぎに変更され、名古屋発のしらさぎが8往復、米原発の加越が6往復の運転となった。
1991年3月16日ダイヤ改正では加越1往復をきらめきに変更。きらめきは2往復体制となり、自由席が設けられた。同年9月1日には七尾線電化に伴い、しらさぎ1往復が和倉温泉発着となった。
1992年3月14日ダイヤ改正、速達型ダイヤだったきらめきの停車駅が増加し、ダイヤに関しては加越と差異がなくなり、使用車両の違いだけとなった。
1997年3月22日ダイヤ改正、きらめきが加越に統合され、加越は7往復体制となった。また、681系増備により485系スーパー雷鳥編成の転用が始まり、付属編成をしらさぎに転用して米原駅で増解結作業を実施した。
2001年7月12日、683系投入によりスーパー雷鳥からパノラマグリーン車が転用され、しらさぎ専用の塗装車が登場した。

683系SH5しらさぎ

SH5

2003年3月15日ダイヤ改正、しらさぎ4往復に683系2000番台を投入。基本5両編成に付属3両編成をつなげて最大11両編成で運転された。683系2000番台は増備を続けて同年7月19日にはしらさぎ、加越が683系2000番台に統一された。また、同年10月1日ダイヤ改正では加越がしらさぎに統合されて、しらさぎは16往復の運転となった。米原発着のしらさぎは50~60番台の号数が使用された。全てのしらさぎが武生、鯖江停車となった。おはようエクスプレス、おやすみエクスプレスの運転開始に合わせて上りしらさぎ1本を平日のみ泊駅始発とした。

  

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