寝台特急北陸は上野と金沢を結んでいた列車で、2010年3月10日ダイヤ改正まで運転されていた。運転開始は1975年3月ダイヤ改正で、急行北陸を格上げして誕生した。急行北陸は2往復運転されていたが、この時1往復は急行能登に改称された。北陸は上野から高崎線〜上越線を経由して長岡で、方向転換して信越本線〜北陸本線経由で金沢まで運転された。新設当初は20系寝台車で運転された。1978年10月1日ダイヤ改正で20系から14系寝台車に置き換えられた。以降上越新幹線開業後も大きな変化はなく、JR発足を迎えた。
JR発足後はJR東日本所属となり、1989年3月11日ダイヤ改正からはA寝台1人用個室シングルDX、B寝台1人用個室ソロの連結を開始した。ソロに関してはシャワールームが付いた車両と2種類連結された。また、下り列車は早朝金沢駅到着後も寝台利用できるようチェックアウトサービスを開始した。金沢到着後、東金沢駅に留置され、午前9時まで寝台を利用できた。東金沢から金沢までの普通電車での移動も無料で提供された。1990年3月10日ダイヤ改正では好評のB寝台1人用個室ソロが増やされ、2両から5両になった。12両編成中6両が個室化され、寝台の種類こそ少ないが、北斗星並みに個室率が高い寝台列車となった。1991年3月15日ダイヤ改正で、チェックアウトサービスが終了した。
その後は北陸新幹線長野開業などもあり、急行能登の運行経路変更など、周辺状況は変わっていったが、北陸は特に大きな変化もなく推移していった。1999年3月16日ダイヤ改正では12両編成から8両編成に減車され、夜行列車リストラの波がいよいよ北陸にも押し寄せつつあった。もっとも寝台特急凋落の大きな要因の一つである新幹線は、北陸地区までまだまだ延びておらず、東京から直通の特急列車もないことから、寝台特急北陸の利用率は他の寝台特急よりもマシな方であった。北陸新幹線開業までは運転が続くものと思われたが、車両の老朽化やJR各社の夜行列車リストラの波に飲み込まれ2010年3月10日ダイヤ改正で、同僚の急行能登とともに廃止された。