神鉄粟生線ガイド

1104F普通粟生

1104F普通粟生

1.概要

会社名 神戸電鉄
路線名 粟生線
区間 鈴蘭台~粟生
営業キロ 29.2km
駅数 2駅
平均駅間距離 29.2km
所要時分 53分
表定速度 33.1km/h
軌間 1067mm
電気方式 1500V直流電化
線路 単線(鈴蘭台~西鈴蘭台)
複線(西鈴蘭台~藍那)
単線(藍那~川池信号所)
複線(川池信号所~押部谷)
単線(押部谷~粟生)
保安方式 ATS
最高速度 70km/h
最大編成両数 4両

神鉄粟生線は鈴蘭台と粟生を結ぶ29.2kmの路線で、有馬線、三田線と並んで神鉄の幹線の一角をなしている。鈴蘭台〜西鈴蘭台間が単線、西鈴蘭台〜藍那間は複線、藍那〜川池信号所間は単線、川池信号所〜押部谷間は複線、押部谷〜粟生間は単線となっている。鈴蘭台では神鉄有馬線と接続しており、新開地方面へほとんどの電車が直通している。粟生ではJR加古川線、北条鉄道と連絡している。

駅番号 駅名 営業距離 駅間距離 所在地 開業年月日
KB06 鈴蘭台 0km 神戸市北区 1928/11/28
KB41 鈴蘭台西口 0.8km 0.8km 神戸市北区 1937/12/28
KB42 西鈴蘭台 1.3km 0.5km 神戸市北区 1970/6/5
KB43 藍那 3km 1.7km 神戸市北区 1936/12/28
KB44 木津 6.4km 3.4km 神戸市西区 1937/4/27
KB45 木幡 8.1km 1.7km 神戸市西区 1937/6/15
KB46 9.6km 1.5km 神戸市西区 1937/6/15
KB47 押部谷 11.2km 1.6km 神戸市西区 1936/12/28
KB48 緑が丘 12.8km 1.6km 三木市 1950/3/8
KB49 広野ゴルフ場前 13.5km 0.7km 三木市 1936/12/28
KB50 志染 15.6km 2.1km 三木市 1937/12/28
KB51 恵比須 17.6km 2km 三木市 1937/12/28
KB52 三木上の丸 18.6km 1km 三木市 1937/12/28
KB53 三木 19.3km 0.7km 三木市 1938/1/28
KB54 大村 20.8km 1.5km 三木市 1951/12/28
KB55 樫山 23.2km 2.4km 小野市 1951/12/28
KB56 市場 23.9km 0.7km 小野市 1951/12/28
KB57 小野 26.2km 2.3km 小野市 1951/12/28
KB58 葉多 27.7km 1.5km 小野市 1952/4/10
KB59 粟生 29.2km 1.5km 小野市 1952/4/10

運転系統は新開地から粟生、小野へ向かう準急と普通が主体で、ラッシュ時には快速、急行が運転されている。車両は4両編成と3両編成の各形式が使用されている。2001年6月23日のダイヤ改正より恵比須〜粟生間の最大編成両数が3両から4両へと増強されたため、神鉄の主要形式全てが粟生線で使用されるようになった。

2.歴史

神鉄粟生線は1936年(昭和11年)12月28日に三木電気鉄道として鈴蘭台~広野ゴルフ場前間が開業した。ガソリンカーで営業運転を開始した。1937年(昭和12年)4月15日に全線電化完成し、電車運転を開始した。同年4月27日に木津駅、6月15日に木幡駅、栄駅が開業した。同年6月24日に広野ゴルフ場前~三木東口(現在の三木上の丸)間で自動車連絡を開始した。12月28日に広野ゴルフ場前~三木東口間が延伸開業した。

1938年(昭和13年)1月28日に三木東口~三木福有橋間が延伸開業した。1939年(昭和14年)4月1日に久留美駅を恵比須駅に、三木東口駅を上の丸駅に改称した。1942年(昭和17年)12月22日に鈴蘭ダンスホール前駅を小部西口駅に、広野ゴルフ場前駅を広野新開駅に改称した。

1947年(昭和22年)1月9日に神戸有馬電気鉄道が三木電気鉄道を合併し、神有三木電気鉄道に社名変更した。1948年(昭和23年)10月1日に上の丸駅を三木上の丸駅に改称した。1949年(昭和24年)4月30日に神戸電気鉄道に社名変更した。1950年(昭和25年)3月8日に広野野球場前駅が開業した。

1951年(昭和26年)4月1日に広野新開駅を広野ゴルフ場前駅に改称した。同年12月28日に三木福有橋~電鉄小野(現在の小野)間が開業した。1952年(昭和27年)4月10日に電鉄小野~粟生間が開業し全通した。同年10月1日に木津駅・木幡駅・栄駅・大村駅をそれぞれ電鉄木津駅・電鉄木幡駅・電鉄栄駅・電鉄大村駅に改称した。1954年(昭和29年)1月1日に三木福有橋駅を電鉄三木駅に改称した。1958年(昭和33年)6月15日に広野野球場前駅を緑が丘駅に改称した。

1962年(昭和37年)9月1日に小部西口駅を鈴蘭台西口駅に改称した。1966年(昭和41年)4月18日に3両編成運転を開始した。1970年(昭和45年)6月5日に西鈴蘭台駅が開業した。1974年(昭和49年)4月5日に押部谷にて増結して4両編成となる通勤急行が運転を開始した。1974年(昭和49年)10月22日に志染~粟生間にATSが設置された。

1975年(昭和50年)10月16日に藍那~電鉄木津間に川池信号所が開設された。西鈴蘭台~押部谷間にATSが設置された。1979年(昭和54年)11月16日に電鉄木津~電鉄木幡間に見津信号所を開設した。見津信号所~押部谷間が複線化された。1982年(昭和57年)10月31日に西鈴蘭台~藍那間が複線化された。

1984年(昭和59年)10月7日に第二車庫(見津車庫)の第一期工事が竣工した。1988年(昭和63年)4月1日に電鉄木津駅・電鉄木幡駅・電鉄栄駅・電鉄三木駅・電鉄大村駅・電鉄市場駅・電鉄小野駅をそれぞれ木津駅・木幡駅・栄駅・三木駅・大村駅・市場駅・小野駅に改称した。翌4月2日にダイヤ改正を行い、最高速度を60km/hから70km/hに引き上げた。

1989年(平成元年)3月26日に川池信号所~木津~見津信号所間が複線化された。1991年(平成3年)4月23日に小野駅が橋上駅舎化された。1999年(平成11年)8月2日に木津駅が橋上駅舎化された。

2001年(平成13年)6月23日に恵比須~粟生間の設備改良工事が完成した。これにより全線で4両編成の運転が可能になった。2002年(平成14年)3月17日に鈴蘭台~粟生間にPTC・CTCを導入した。2004年(平成16年)1月11日から新開地~粟生間でワンマン運転を開始した。2011年(平成23年)3月1日から駅構内の全面禁煙化が実施された。

2018年 (平成30年)3月4日に三木駅下りホーム側駅舎が近隣火災の延焼で焼失した。翌日から志染~粟生間で朝夕を中心に本数を減らした臨時ダイヤで運転した。3月9日の朝ラッシュ後から通常ダイヤに復旧した。

3.ガイド

起点の鈴蘭台では有馬線と接続しており、新開地まで直通運転している。ホーム2面4線で、2018年9月に橋上駅舎が完成した。粟生線電車は基本的に2番線、4番線から発着し、有馬線電車と交差しないようにしている。鈴蘭台を出ると単線になり、右に急カーブを曲がりながら急勾配を上り、有馬線と分かれる。トンネルを抜けて1面1線の鈴蘭台西口となる。運転本数が多い鈴蘭台〜西鈴蘭台間が単線のまま放置されているため、ボトルネックになっている。駅付近は住宅が建て込んでおり、鈴蘭台駅付近の急勾配、急カーブの区間とともに複線化するのは難しい。鈴蘭台西口を出ると勾配を下りながら右にカーブして西鈴蘭台となる。西鈴蘭台はかつては3面4線で、1・2番線は行き止まり式ホームになっていたが、これらは撤去されて、今は2面2線が残るのみとなっている。このため、西鈴蘭台駅は1・2番線はなく、3・4番線を使用する形になっている。

西鈴蘭台からは複線になる。現在の昼間時の運転は西鈴蘭台までが15分毎、西鈴蘭台からは30分毎となるため、複線区間の方が運転本数が少なくなるという矛盾が生じている。西鈴蘭台から暫く付近を掘割で進み、北西方向を進んで行き、市街地を抜けて山間部へと入っていく。まだ神戸市内を走っているが、とても市内とは思えない景色の中を走る。阪神高速北神戸線をくぐり、山間部を縫うように走り、2面2線の藍那となる。併走する県道52号線は交通量が多いが、付近に民家が少ないこともあり、神鉄の利用は少ない。ここから再び単線になる。粟生方には引上げ線があり、昼間時は西鈴蘭台止まりの電車がここで折り返している。藍那からも暫く山間部を走り、途中の川池信号所から再び複線になる。藍那から川池信号所までの間は複線化用地が確保されているが、複線化される可能性は極めて低い。

川池信号所から複線になり、暫く山間部を縫うように走り、山陽自動車道の下をくぐり、2面2線の木津となる。駅周辺は農村の風景で、神戸市内とは思えない長閑な風景が展開される。南側には工業団地もあり、見津が丘の住宅地もあるが、道路網が発達しており、マイカーやバスの利用が多い。木津を出ると平坦な開けた区間を走る。途中見津信号所があり、見津車庫がある。輸送力増強のため設置された車庫だが、粟生線の輸送力は落ち込んでおり、この車庫がフル活用される日は遠い。木幡は2面2線で、急行が停車する。南側には神戸三木線が走り、木見川が流れており、その向こう側には秋葉台などの住宅地が広がっている。急行は木幡から各駅に停車する。次の栄もホーム2面2線で、駅周辺には商店などもあり町が形成されている。北側には月が丘住宅地がある。南側には桜が丘住宅地などがあり、周辺人口は少なくないが、この辺りから神戸市の中心部へは車移動が便利なため神鉄の利用に結びついていない。粟生線は志染以遠の不振が取り上げられるが、志染以遠を西鈴蘭台~志染間の利用者で補完できなくなっているのも問題点の一つと言える。栄から真っすぐ西を向いて走る。この辺りは複線で直線区間も多い。押部谷はホーム2面3線の地上駅で、当駅折り返し電車の設定もある。ここまでが神戸市内で、押部谷を出ると三木市に入る。

押部谷からは単線になり、進路を北西方向に向ける。三木市に入ってすぐに1面1線の緑が丘となる。駅東側に緑が丘住宅が広がっており、利用者が見込める駅の一つだが、ここも車やバスに苦しめられている。次の広野ゴルフ場前はホーム1面2線の行き違い駅で、駅の西側に広野ゴルフ場がある。ここから北西方向を向いて真っすぐ走り、ホーム2面3線の志染となる。鈴蘭台方には1線引上げ線があり、当駅で折り返す電車も多い。神鉄の各駅は無人化されているが、志染駅は有人駅で定期券の販売なども行われている。駅周辺には商業施設も多く、駅前にはロータリーが整備されて路線バスも乗り入れている。

志染を出ると住宅地の中を北西方向を向いて暫く走り、1面1線の恵比須となる。駅前にはロータリーが整備されており、路線バスの他に高速バスも発着している、この高速バスは大阪方面だけでなく、三宮方面などにも運行されており、神鉄の天敵となっている。周辺は車社会にどっぷり浸かっているが、公共交通機関での競合にも敗れているところが、神鉄粟生線の苦しさを物語っている。恵比須を出ると新興住宅地から旧市街地に入っていき、築堤に上がって1面1線の三木上の丸となる。三木城址の近くにあり、三木市役所にも近く三木市の中心部にある。三木上の丸を出ると美嚢川を渡り、左にカーブしながらホーム2面2線の三木となる。三木市の中心駅の一つだが、旧市街地へは三木上の丸が近く、新興住宅地にある志染などと比べると地味なイメージがある。下り線側の駅舎が焼失したため、現在駅舎は仮設になっている。かつては美嚢川の対岸に三木鉄道の三木駅があったが、廃止されて現在は駅周辺が三木鉄道記念公園となっている。

三木を出ると再び北西方向を向いて走り、三木市の市街地を抜けて、長閑な景色になると1面1線の大村となる。駅周辺は長閑な雰囲気だが、西側を走る国道175号線沿いには商業施設や飲食店が立ち並んでおり賑やかである。駅の北西方向には山陽自動車道の三木小野ICもあり、この辺りもやはり道路交通が便利である。大村を出ると山陽自動車道の下をくぐり、続いて国道175号線の下をくぐる。暫く走り、ホーム2面2線の樫山となる。2009年に駅舎が改築され、駅前広場も整備されてコミュニティハウスも併設されている。樫山からは県道23号線三木宍粟線と並行して走る。ホーム1面1線の市場には保線基地が併設されており、新車搬入などにも使用されている。西側に加古川が流れており、その西側にJR加古川線が走っており、加古川線にも市場駅があるが、神鉄の市場駅からは相当離れており、乗り換えられる距離にはないので注意が必要だ。市場からは進路を北に向けて田園地帯を真っすぐ走る。山田川を渡り再び北西方向を向いて走り、しばらく走って左にカーブしながらホーム1面2線の小野となる。小野は橋上駅舎になっており、引上げ線もあり夜間滞泊なども行われている。駅前にはロータリーがあり、路線バスも発着している。小野市の市街地は北側に広がっており、ここでも国道175号線沿いなどに商業施設があるが、駅周辺も市街地化しており、主要駅の様相にはなっている。とはいえ、データイムには毎時1本しか電車が走らないので、利用者は少ない。駅近くにある小野高校などへの通学利用が現在の粟生線の生命線になっている。

小野を出ると市街地を抜けてすぐに田園地帯を走る。暫く田園地帯を走って1面1線の葉多となる。葉多を出ると加古川を渡り、左手からJR加古川線が近づいてきて、右にカーブしてJR加古川線と並走して終点の粟生に到着する。粟生はホーム2面1線となっているが、JR側のホームは使用されていないため、実質的にはホーム1面1線を使用する形になっている。JR加古川線粟生駅とは連絡改札を介して乗り換えられる。粟生では加古川線の他に北条鉄道と連絡している。

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