JR京都線・神戸線・琵琶湖線ダイヤ変遷3

3.阪神淡路大震災発生~1994年3月1日ダイヤ改正~1997年3月8日東西線開業まで

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1994年3月1日ダイヤ改正では新快速のダイヤには特に変更はなく、目新しいところでJR京都線・JR神戸線の普通電車に207系1000番台が投入された。207系は当時計画されていた片福連絡線(現JR東西線)直通用に0番台が学研都市線、JR宝塚線に投入されていた。試作車のF編成は7両固定編成で、201系・205系などの京阪神緩行と同じ編成構成だったが、学研都市線での分割併合を行うために量産車は4両編成と3両編成が造られていた。1000番台ではこれを踏襲せずに京阪神緩行の需要に見合った編成とするため基本6両編成と付属2両編成が造られ、データイムは6両編成、ラッシュ時には8両編成で運転された。207系1000番台の投入によりラッシュ時に残っている103系の一部が置き換えられた。
1994年9月4日には関西空港線開業に伴うダイヤ改正が行われた。JR京都線では関空特急はるかが京都から関西空港まで30分毎に運転され、関空アクセスの主役を担った。はるかにはJR西日本初の新型特急車両281系が投入された。
同改正ではJR京都線・神戸線・琵琶湖線などで土曜ダイヤが休日ダイヤとなり、土休日ダイヤが本格的に採用された。また、夕ラッシュ時下り新快速の編成増強が行われ、大阪発18時~19時の列車は12両編成で運転されるようになった。JR神戸線の利用は阪神淡路大震災を契機に並行私鉄から利用者が大量にJRに移ったかのように言われているが、この改正での内容を見る限りでは震災前からJRへの流出は既に始まっていたと見るべきだろう。それをより一層加速させたのが阪神大震災だったと言える。

 1994年12月3日に上郡~智頭間の智頭急行が開業し、新大阪~鳥取・倉吉間に智頭急行のHOT7000形振り子気動車を使用したスーパーはくとが3往復、特急はまかぜの運転削減により捻出されたキハ181系を使用した特急はくとが新大阪~倉吉間に1往復設定された。大阪~鳥取間ではそれまで播但線経由で結んでいた特急はまかぜよりも短い所要時分で運転された。並行して走る高速バスよりも速いことから好評を受けた。この時点ではJR神戸線内では最高速度は新快速に合わせた120km/h運転となっており、振り子機能も停止させていたことからまだまだJR線内では本領を発揮した運転にはなっていなかった。

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は神戸市をはじめ、兵庫県各所に甚大な被害を与えた。鉄道への被害も大きく、JR山陽新幹線では甲東園付近で高架が落下し、1月17日から4月7日までの長期間、新大阪~姫路間で運休した。JR神戸線では六甲道駅付近の高架が壊滅的被害を受け、こちらも1月17日~3月31日までの間運休し、4月1日に複々線区間で一部複線運転を行い復旧した。並行する阪急神戸線の全線復旧がJRに遅れることおよそ2ヶ月後の6月12日、山陽電鉄本線が6月18日、阪神本線が6月26日にそれぞれ全線復旧した。いずれの路線もJRより全面復旧が2ヶ月ほど遅れており、その間振り替え輸送にあたったJR神戸線を利用する人が増え、並行私鉄開通後もそのまま継続してJRを利用する人が多かった。JR神戸線の全線復旧後の振り替え輸送について、JR西日本と私鉄各社の間で考え方にずれが生じ、後々に禍根を残していくことになった。Jスルーカードとスルっと関西カードの共用ができなかったのは、この時の禍根も影響しているのではないかと言われたほどである。但し、ICカードのICOCAとPITAPAでは共用が行われているので、JR西日本と私鉄各社の間にあった溝はそれなりに埋まっているものと思われる。
1995年4月1日以降のダイヤは暫定的なものだったが、JR神戸線内での輸送量増大に備えるため、同線での新快速の輸送力増強が行われた。JRグループ各社よりも1ヶ月遅れてのダイヤ改正を1995年4月20日に実施したが、暫定ダイヤながら新快速の増発ダイヤは継続された。同改正では207系1000番台が新たにJR宝塚線に投入された。
1995年6月12日には同年春に投入予定だった681系の搬入が震災の影響で遅れたため、同日より営業運転を開始した。スーパー雷鳥(サンダーバード)として大阪~富山間で運転を開始し、大阪~京都間では初めてとなる130km/h運転を開始した。同日にはダイヤの一部修正が行われ、朝ラッシュ時の外側快速のスピードアップや神足(現長岡京)に朝夕ラッシュ時の一部快速が停車するようになった。以上のように災い転じてさらに攻勢を増していたJRに対して全面復旧を果たした私鉄各社もJRに対抗するべく復旧とともにダイヤ改正を行った。



1995年9月1日には再度ダイヤ改正が行われた。新快速が土休日については終日高槻・芦屋に停車するようになった。高槻では土休日には阪急特急は1本も停車しないことから、土休日においてはさらにJR優位という印象が強まった。これに対する阪急京都線の反応は無反応というに等しく、1997年になって漸く特急の終日高槻市停車を実施したが、時既に遅しの感があった。同改正では223系1000番台が営業運転を開始した。同車は前年関空アクセス用に投入された223系0番台と221系をベースに開発された新しい車両で、最高速度130km/hを狙うVVVFインバータ車となった。車内は補助椅子が設けられ、221系に比して座席定員が増えたが、補助椅子を除いた座席定員は逆に減った。221系は快速運用から営業運転を開始したが、223系1000番台は当初から新快速運用を中心に営業運転を開始した。神足の駅名が長岡京に改称され、同時に平日の快速が終日停車するようになった。長岡京は電車特定区間から外れるため、大阪までの運賃は並行して走る阪急京都線よりもはるかに高いが、通勤定期は高槻分割購入などでJRの方が安くなることもあり、ダイヤの改善とともに、通勤客を中心に利用者を増やしていくことになった。この他、朝ラッシュ時間帯下り快速の尼崎停車が拡大されたり、震災復旧以降臨時扱いで運転されていたラッシュ時の増発新快速が定期運行となった。

1996年3月16日のダイヤ改正では、湖西線直通の新快速のテコ入れが行われ、湖西線内での快速運転が復活した。湖西線内での停車駅は西大津(現大津京)・比叡山坂本・堅田・近江舞子以遠各駅となった。快速運転による所要時分短縮と折り返し時間の見直しにより近江舞子折り返しだったものを近江今津折り返しとして、新快速が毎時1本近江今津まで乗り入れるようになった。また、湖西線直通の最終は永原行きとなり、湖西線直流区間全線に新快速が乗り入れるようになった。この辺りから新快速の運転区間がさらに広がっていくようになった。琵琶湖線では長浜までの運転体系を変更して、新快速1、快速1の直通を新快速2の直通に変更して新快速は長浜行き、快速は米原行きが基本となった。
京阪神緩行に207系1000番台が増備されていたが、今回増備分は4両編成2本で、初回増備の6両編成、2両編成とは違う編成が造られた。京阪神緩行用の増備が滞っていたことやここに来てJR東西線開業が見えてきたこともあって、増備編成の両数が変更されたと思われる。事実上データイム6両、ラッシュ時8両の計画はこの辺りから崩れて行った。普通は1996年7月20日にダイヤ改正を行い、データイムの神戸止まりの普通が須磨まで延長運転された。

1996年12月1日にはJR神戸線芦屋~摂津本山間に甲南山手駅が開業した。同駅の開業は阪急神戸線岡本駅に影響を与えることが考えられ、阪急神戸線では震災復旧後のダイヤ改正で特急を岡本に停車させていた。JRは普通のみの停車となっているが、芦屋で新快速、快速と緩急接続を行うため、普通のみ停車でも利便性は悪くないので、阪急としては対抗策として特急の停車を選んだのだろう。これ以上利用者を取られるわけにはいかないということから阪神間直行輸送よりも中間駅での防衛策に出たのだろう。このように中間駅重視の施策を打ち出すようになったのは震災後のことだ。

  

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