関西各駅探訪第129回~JR学研都市線・JRおおさか東線放出駅~

【JRおおさか東線開業により激変した学研都市線の中心駅】

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JR学研都市線、おおさか東線放出駅は、大阪市鶴見区にある。おおさか東線開業前は2面3線の地上駅だったが、おおさか東線開業とともに2面4線の橋上駅舎に生まれ変わった。木津方でおおさか東線が分岐しており、学研都市線の下り京橋方面の線路は高架になって、おおさか東線の上下線を跨ぐ。おおさか東線の線路沿いには、森ノ宮電車区放出派出所があり、207系や321系が休んでいる姿が見られる。放出駅には学研都市線の快速、区間快速とおおさか東線から直通する直通快速など全ての電車が停車する。また、城東貨物線経由で百済貨物駅までの貨物列車も走り、時折放出駅を通過する姿が見られる。

放出駅は1895年(明治28年)8月22日に浪速鉄道が四条畷〜片町間開通とともに開業した。1897年(明治30年)2月9日に浪速鉄道が関西鉄道に路線譲渡され、同社の駅になった。1898年(明治31年)11月18日に当駅から網島までが開業。網島方が本線扱いとなり、当駅から片町までは貨物支線となった。1905年(明治38年)1月1日に貨物支線となっていた当駅から片町までが旅客営業を再開した。1907年(明治40年)10月1日に鉄道国有法により帝国鉄道庁の駅になった。1909年(明治42年)10月12日に線路名称が制定され、木津〜桜ノ宮間が桜ノ宮線となり当駅もその所属となった。また、当駅から片町までの間は片町線となった。1913年(大正2年)11月15日に桜ノ宮線当駅〜桜ノ宮間が廃止され、桜ノ宮線の残存区間は片町線に編入された。1927年(昭和2年)12月10日に当駅〜淀川間の貨物支線(淀川貨物線)が開業した。1931年(昭和6年)8月10日に当駅〜平野間、当駅〜吹田間の貨物支線(城東貨物線の一部)が開業した。1939年(昭和14年)10月15日に当駅〜八尾間の貨物支線(城東貨物線の一部)が開業した。1982年(昭和57年)11月15日に淀川貨物線が廃止された。1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化に伴い、JR西日本の駅となった。当駅〜吹田間の貨物支線の起点は鴫野駅に変更された。1988年(昭和63年)3月13日に路線愛称の制定により、片町線で学研都市線の愛称を使用開始した。2002年(平成14年)7月1日に橋上駅舎化され、併せて南北自由通路の開設により、南側にも出口が設けられた。2003年(平成15年)11月1日にICカードICOCAの利用が可能となった。2008年(平成20年)3月15日ダイヤ改正で、おおさか東線の当駅〜久宝寺間が部分開業し、乗換駅になった。おおさか東線開業区間と重複する当駅〜八尾間の貨物支線を廃止し、当駅〜平野間の貨物支線の起点は正覚寺信号場に変更された。2018年(平成30年)3月17日に駅ナンバリングが導入された。2019年(平成31年)3月16日におおさか東線の当駅〜新大阪間が開業。開業区間と重複する鴫野〜神崎川信号場間の貨物支線が廃止された。

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ホームは2面4線で、1番線・2番線が上り木津・久宝寺方面で、1番線を学研都市線下り線、2番線をおおさか東線が使用する。3番線、4番線が下り京橋方面で、3番線をおおさか東線到着、4番線を学研都市線上り線が使用する。

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京橋方にはおおさか東線の折り返し線がある。ここは将来本線となり、おおさか東線電車は新大阪方面へ運転される。

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駅舎は橋上で、改札は1ヶ所あり、ICカード対応の自動改札が設置される有人改札がある。

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自動券売機、みどりの窓口も設置されている。また、最近数を減らしているキヨスクも健在である。

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北口はロータリーが設けられているが、タクシーのみの発着でバスの発着はない。駅周辺は非常に道が狭い。商店街があり、下町の情緒がある。

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南口にもロータリーがあり、こちらからは近鉄バスが発着している。南側には高層マンションが建っており、北側と違い、新しさも感じるが、駅近くを第二寝屋川が流れており、町が分断される形になっている。

JR放出駅の2014年度の1日あたりの乗車人員は、15,811人となっている。うち定期利用者は11,036人で、定期比率は69.5%である。10年前の2004年度は、13,401人で、全体で18%ほど利用者が増加している。定期利用者は20%ほど増えており、通勤通学客の増加が目立つ。JRおおさか東線の開業も大きいが、駅自体の利用者数が増加しているので、駅周辺の再開発による周辺人口の増加も利用者増の要因と思われる。

  

鉄道コム

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