近鉄橿原線ガイド【奈良県を南北に走り近鉄主要4線を繋ぐ唯一の路線】

観光特急しまかぜ

観光特急しまかぜ

1.概要

会社名 近畿日本鉄道
路線名 橿原線
区間 大和西大寺~橿原神宮前
営業キロ 23.8km
駅数 17駅
平均駅間距離 1.49km
所要時分 20分
表定速度 71.4km/h
軌間 1435mm
電気方式 1500V直流
線路 複線
保安方式 ATS
最高速度 100km/h
最大編成両数 6両

近鉄橿原線は大和西大寺と橿原神宮前を結ぶ23.8kmの路線である。近鉄の3大主要路線を結ぶ唯一の路線で、大和西大寺で近鉄奈良線、京都線と連絡、平端で天理線を分岐、大和八木で近鉄大阪線と連絡、橿原神宮前では近鉄南大阪線と連絡している。各線と直通、連絡、接続があるため運転パターンが一定していない。運転系統は特急が毎時2本京都から橿原神宮前まで運転されている。毎時1本は大和西大寺まで奈良行き特急と併結運転を行う。かつては毎時1本大和八木から大阪線に入り、鳥羽、賢島方面へ運転される京伊特急が運転されていたが、現在は朝夕の運転となっている。急行も京都線からの直通が主体で、橿原神宮前、天理へそれぞれ運転されている。普通は線内運転と天理線直通が運転されており、車両運用の都合で一部列車は京都線普通とスルー運転になっている。

駅番号 駅名 よみがな 営業
キロ
駅間キロ 所在地 開業年月日
B26 大和西大寺 やまとさいだいじ 0km 奈良市 1914年4月30日
B27 尼ヶ辻 あまがつじ 1.6km 1.6km 奈良市 1921年4月1日
B28 西ノ京 にしのきょう 2.8km 1.2km 奈良市 1921年4月1日
B29 九条 くじょう 4km 1.2km 大和郡山市 1921年4月1日
B30 近鉄郡山 きんてつこおりやま 5.5km 1.5km 大和郡山市 1921年4月1日
B31 筒井 つつい 8.4km 2.9km 大和郡山市 1922年4月1日
B32 平端 ひらはた 9.9km 1.5km 大和郡山市 1922年4月1日
B33 ファミリー公園前 ふぁみりーこうえんまえ 10.9km 1km 大和郡山市 1979年7月1日
B34 結崎 ゆうざき 12.4km 1.5km 磯城郡川西町 1923年3月21日
B35 石見 いわみ 13.8km 1.4km 磯城郡三宅町 1923年3月21日
B36 田原本 たわらもと 15.9km 2.1km 磯城郡田原本町 1923年3月21日
B37 笠縫 かさぬい 17.3km 1.4km 磯城郡田原本町 1923年3月21日
B38 新ノ口 にのくち 19.1km 1.8km 橿原市 1923年3月21日
B39 大和八木 やまとやぎ 20.5km 1.4km 橿原市 1923年3月21日
B40 八木西口 やぎにしぐち 20.5km 0km 橿原市 1923年3月21日
B41 畝傍御陵前 うねびごりょうまえ 22.8km 2.3km 橿原市 1923年3月21日
B42 橿原神宮前 かしはらじんぐうまえ 23.8km 1km 橿原市 1923年3月21日
駅名 特 急 急 行 普 通
大和西大寺
尼辻    
西ノ京
九条    
近鉄郡山  
筒井    
平端  
ファミリー公園前    
結崎    
石見    
田原本  
笠縫    
新ノ口    
大和八木
八木西口  
畝傍御陵前  
橿原神宮前

2.歴史

近鉄橿原線は1921年(大正10年)4月1日に大阪電気軌道畝傍線として西大寺~郡山間が複線で開業した。1922年(大正11年)4月1日に郡山~平端間が複線で延伸開業した。1923年(大正12年)3月21日に平端~橿原神宮前間が延伸開業した。八木~橿原神宮前間は複線となった。同年12月24日に石見~八木間が複線化された。

1924年(大正13年)3月2日に平端~石見間が複線化され全線複線化された。同年11月に畝火山駅を畝傍山駅に改称した。1928年(昭和3年)8月に八木駅を大軌八木駅に改称した。1929年(昭和4年)1月5日に大阪電気軌道桜井線(現在の大阪線)開通に伴い、立体交差部分に大軌八木駅を移転して大軌八木駅とし、これまでの大軌八木駅は八木西口駅となった(扱い上は大軌八木駅構内の別ホーム)。

1930年(昭和5年)7月10日に吉野線の橿原神宮前~久米寺(現在の橿原神宮前駅)間を三線軌条化し、畝傍線の電車が乗り入れを開始した。1937年(昭和12年)3月に畝傍山駅を神武御陵前駅に改称した。1939年(昭和14年)7月28日に八木西口~神武御陵前~橿原神宮前間を廃止。八木西口~橿原神宮(現在の橿原神宮前)の新線が開業。畝傍線を橿原線に、神武御陵前駅を移転し畝傍御陵前駅に改称した。

1940年(昭和15年)4月1日に久米寺駅を橿原神宮駅駅に統合した。1941年(昭和16年)3月15日に大軌郡山駅を関急郡山駅に、大軌田原本駅を関急田原本駅に、大軌八木駅を大和八木駅に改称した。1942年(昭和17年)10月1日に大和西大寺~八木西口間を、軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更(八木西口駅以南は、1939年の新線切り替え以来鉄道)。

1944年(昭和19年)6月1日に関急郡山駅を近畿日本郡山駅に、関急田原本駅を近畿日本田原本駅に改称した。1964年(昭和39年)10月1日に近畿日本田原本駅を田原本駅に改称した。1967年(昭和42年)12月20日に新ノ口~大和八木間に大阪線伊勢中川方面との連絡線が完成した。1968年(昭和43年)10月10日にATSを使用開始した。

1969年(昭和44年)9月21日に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧した。1970年(昭和45年)3月1日に近畿日本郡山駅を近鉄郡山駅に、橿原神宮駅駅を橿原神宮前駅に改称した。1973年(昭和48年)9月20日に建築限界拡大工事竣工。1977年(昭和52年)6月5日に筒井駅付近が高架化された。1979年(昭和54年)7月1日にファミリー公園前駅開業(当初は季節限定の臨時駅として開業)。

1992年(平成4年)12月20日に大和西大寺~平端間に列車運行管理システム(KOSMOS)稼働開始。1993年(平成5年)9月21日にファミリー公園前駅に普通が終日停車となった。1996年(平成8年)3月15日に23000系(伊勢志摩ライナー)を京伊特急(・京奈特急)にも運用開始。1998年(平成10年)4月1日に平端~橿原神宮前間に列車運行管理システム(KOSMOS)稼働開始。

2000年(平成12年)3月15日ダイヤ変更で、天理発着の急行のうち昼間の毎時1本を橿原神宮前発着の急行及び平端~天理間普通に置き換え、昼間の平端~橿原神宮前間は特急を除けば毎時急行3本・普通3本に増発した。また大和西大寺~天理間の普通のうち昼間の毎時1本が平端~天理間に短縮され、昼間の大和西大寺~平端間は普通が毎時5本から4本に削減。

2001年(平成13年)2月1日に各駅でスルッとKANSAI対応カードの取り扱い開始。これに伴い、大和西大寺駅・田原本駅・大和八木駅・橿原神宮前駅における「途中下車指定駅」の制度が廃止された。同年10月14日に各駅でJスルーカードの取り扱い開始。

2003年(平成15年)3月6日ダイヤ変更で、京伊特急の一部が大和八木~賢島間で阪伊乙特急と併結運転を実施した。橿原神宮前発着の急行のうち昼間の毎時1本を普通に置き換え、昼間の平端~橿原神宮前間は特急を除けば急行2本・普通4本となった。

2007年(平成19年)3月24日ダイヤ変更で、土休日ダイヤ昼間のみ急行停車駅に西ノ京が一部追加された。同年4月1日に各駅でPiTaPa・ICOCAの取り扱いを開始した。2009年(平成21年)3月1日にJスルーカードの自動改札機・のりこし精算機での取り扱いを終了した。

2010年(平成22年)3月20日ダイヤ変更で、土休日ダイヤ昼間の特急の停車駅に西ノ京が追加された。2012年(平成19年)3月20日ダイヤ変更で、西ノ京に平日昼間の特急・急行も停車するようになった。2014年(平成26年)10月10日から京伊特急にも観光特急50000系しまかぜの運転が開始された。

3.路線ガイド

橿原線の起点は大和西大寺で、奈良線、京都線と連絡及び直通している。大和西大寺では線内折り返しの普通が橿原線専用の6番線から発着するほか、京都線へ直通する特急、急行は1番線、3番線から発着するのが基本となっている。4・5番線は副本線1線に両側にホームがある形で、ここに停まる電車は両側の扉を開けて3番線、6番線の両方から乗り換えできる。大和西大寺を出ると奈良線と平面交差して右にカーブする。左手に西大寺車庫を見ながら走り、真っ直ぐ南下していく。阪奈道路(奈良生駒線)と立体交差して続いて国道308号線と交差して2面2線の尼ヶ辻に着く。駅の西側には垂仁天皇陵がある。そのまま南下して左手に唐招提寺を見て2面2線の西ノ京となる。同駅は唐招提寺、薬師寺という有名寺院への最寄駅となっている。有名な観光地が控えているため、2007年3月22日ダイヤ変更から急行が停車するようになり、2010年3月19日ダイヤ変更からは特急も停車するようになった。

西ノ京を出ると左手に薬師寺の3重の塔が見える。木々に邪魔されてよく見えないが、駅から近いのがよくわかる。そのまま南下していき大和郡山市に入って2面2線の九条となる。右手に郡山城跡が見えて少し走ると2面2線の近鉄郡山に着く。同駅は急行停車駅で大和郡山市の中心駅となっている。JR大和路線の郡山駅は東へ1km弱の距離にある。間に商店街があるため、双方の駅からは見えない。ここから先は金魚の飼育場がたくさんある中を走り、田畑が目立つようになる。大和路線と交差するため盛り土になって大和路線を乗り越し、一旦下りてから再び高架に上り2面2線の筒井となる。駅の南側で国道25号線と交差している。駅の西側には工場が点在しており、東側には中央卸売市場がある。高架から下りて西名阪自動車道の下をくぐって天理線が左手に分岐して2面4線の平端となる。同駅は橿原線が2面4線、天理線が2面2線となっており、天理線とはホームが分かれている。天理線とは直通運転が多いが、天理線の線内折り返し電車とは階段を昇り降りしての乗換えとなる。平端には急行が停車し、同駅で特急を待避する普通もある。

平端を出ると佐保川を渡り、右手に広大な公園が見えると2面2線のファミリー公園前となる。ファミリープールや野球場、テニス場など色々な設備がある大きな公園だが、電車利用に結びつくといった感じのものではない。この辺りではやはりクルマが交通の主役だ。川西町に入って大和川を渡り、真っ直ぐ南下して2面2線の結崎となる。同駅は川西町の中心駅といえる。三宅町に入って、巨大な高架の京奈和自動車道と交差して、しばらく走って2面2線の石見となる。石見を出ると田原本町に入り、右手に田原本線が並行するのが住宅街の間から見え、同線からの連絡線が合流して、しばらく走って2面2線の田原本となる。田原本は急行停車駅で、駅の西側100mほどのところに田原本線の西田原本駅がある。田原本駅の改札は東側にしかなかったが、2009年12月6日に西口駅舎が開業した。西口改札ができたおかげで上下線とも踏切を渡らずに田原本線と乗り換えができるようになった。

田原本を出ると真っ直ぐ南下していき2面2線の笠縫を過ぎると橿原市に入る。次の新ノ口は2面2線の単純な配線だが、八木方で大阪線への連絡線を分岐している。京伊特急はここを通って大阪線に入り、大和八木の大阪線ホームに停車する。大阪線の高架が見えると2面2線の大和八木に着く。同駅には特急以下全ての電車が停車する。大阪線とは直交する形になっており、乗り換えは階段の昇り降りで済む。大阪線電車との連絡待ちをするためか、橿原線電車は同駅で時間調整を行うことが多い。


大和八木を出ると大阪線上本町方からの連絡線が合流して2面2線の八木西口に着く。同駅は大和八木駅の構内扱いとなっている。八木西口の駅構内橿原神宮前方には渡り線があり、大阪線の連絡線から下り線へ入れるようになっている。このため、下り列車は連絡線合流地点から八木西口駅構内は、橿原線上り線を逆走する。駅東側に橿原市役所があり、その南にはJR桜井線の畝傍駅もある。

八木西口を出るとJR桜井線のガードをくぐる。さらに国道24号線、国道165号線と連続して交差して真っ直ぐ南下して2面2線の畝傍御陵前となる。西側には畝傍山があり、神武天皇陵などの古墳が多く点在している。南大阪線などの狭軌車両が台車を振り替える台車振替場への線路を分岐して、終点の橿原神宮前に着く。橿原神宮前は2面3線の構造になっているが、1番線の東側にも台車振替場へ向かう線路が並行して走るため構内は広い。南大阪線、吉野線とはホームが離れており、連絡通路を介しての乗換えとなる。駅の先には留置線があり、その隣に台車振替場があり、重要部検査などで狭軌車両が五位堂車庫へ入場するときにはここで台車を履き替える。

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