急行ちくまは、1961年10月1日ダイヤ改正で、大阪~長野間の急行として新設された。それまでは準急だったので、同改正で格上げされて急行ちくまが誕生した。当初は昼行1往復の運転であった。
1966年3月29日ダイヤ改正で夜行急行ちくまが誕生。これで急行ちくまは昼行1往復、夜行1往復の2往復体制となった。同年7月には大糸線直通の臨時急行くろよんを大阪発にて運転。大阪~松本間で急行ちくまと併結運転を行った。
1968年10月1日ダイヤ改正では急行彩雲をちくまに統合。急行ちくまは昼行1.5往復、夜行1.5往復の3往復体制となった。
1971年のダイヤ改正では急行ちくまの昼行1往復を特急しなのに格上げ。これにより急行ちくまは昼行0.5往復、夜行1.5往復の体制となった。1972年のダイヤ改正では定期夜行のちくまを気動車化した。
1978年のダイヤ改正では気動車夜行急行を再び客車化。20系客車が投入され、寝台車は20系、座席車は12系の編成となった。また、臨時急行ちくまは電車にて運転となり、165系が使用されるようになった。
1986年11月1日ダイヤ改正では夜行急行ちくまの寝台車を20系から14系に置き換えた。座席車は12系のままとした。また、昼行の臨時ちくまは廃止となった。
JR発足後はJR西日本宮原客車区所属の14系+12系が使用され、1994年には寝台車の2段化を図るため、14系15形に置き換えられた。ちなみに機関車は大阪~名古屋間がJR東日本田端機関区のEF65、名古屋~長野間は篠ノ井機関区のEF64が使用されていた。
1997年のダイヤ改正では長らく使用されていた14系+12系客車からJR東海の383系に置き換えられた。大阪~長野間直通の特急しなのと共通運用となった。
2003年10月1日ダイヤ改正では定期列車から臨時列車に格下げとなり、使用車両も383系から381系に変更された。臨時でのちくま運転は2005年まで続いたが、それ以降の運転はなくなった。