特急こうのとりは2011年3月12日ダイヤ改正で特急北近畿から愛称名変更で誕生した。運転区間は特急北近畿時代と同じで新大阪~福知山、豊岡、城崎温泉間となっている。使用車両は当初は287系と183系で、後に183系が381系に置き換えられ、さらに2015年10月31日から381系は289系に置き換えられた。現在は287系と289系の2車種が使用されている。
JR発足前からの列車の沿革は以下のとおりである。国鉄時代最後のダイヤ改正となった1986年11月1日ダイヤ改正で福知山線の宝塚~福知山間、山陰本線福知山~城崎間の電化及び宝塚~新三田間の複線改良が行われ、電車特急北近畿が新設された。同改正前は特急まつかぜ2往復、急行丹波、だいせんが運転されていた。特急まつかぜは当初福知山線内では宝塚のみの停車であった。1982年11月15日ダイヤ改正で2・3号の1往復が篠山口駅停車となり、1984年2月1日ダイヤ改正では三田に停車となり、篠山口は1・4号も停車するようになった。特急まつかぜは1往復が博多まで運転されるなど長距離志向の列車として運転されていたため、停車駅も厳選されていた。
これに対して急行は地域密着の優等列車というポジションがあるため、福知山線内も小まめに停車していた。1986年11月1日ダイヤ改正で新設された特急北近畿は大阪~福知山、豊岡、城崎間の運転のため、特急まつかぜの後継というより急行丹波、だいせんの後継的役割を果たす列車となった。国鉄末期にはこのような急行列車の特急格上げを行う光景は全国的に見られ、格落ちした特急列車が乱発されていた。特急北近畿もその一つと言え、特急料金は通常よりも安いB特急料金が採用された。車両はくろしおなどから転用された485系を使用したが、ダイヤ上は複線化や電化などで多少のスピードアップが図られたとは言え、急行レベルと言っても過言ではないものだった。
1986年11月1日ダイヤ改正で特急北近畿は大阪~福知山、城崎間に10往復運転された。特急くろしおなどで使用されていた485系が転用され、1号車に半室グリーン車のクロハ481を配した6両編成で運転した。同改正では特急北近畿の全ての列車が柏原停車となった。1988年7月16日には福知山~宮津間の北近畿タンゴ鉄道宮福線が開業。これに伴い、北近畿1往復に新大阪~天橋立間運転の特急エーデル丹後を連結した。エーデル丹後はキハ65系改造の展望型の気動車で2両編成で運転された。新大阪~福知山間では無動力で特急北近畿に連結された。前年に登場していた北陸本線のゆーとぴあ和倉と同じ形態の列車が福知山線にも登場した。
1989年3月11日ダイヤ改正では城崎以西への需要に応える形で気動車特急エーデル鳥取の運転を開始。エーデル鳥取は大阪~倉吉間の運転で、特急北近畿1往復を置き換えた。エーデル丹後と同様にキハ65系を改造した展望型気動車を使用したが、丹後が2両編成だったのに対し、エーデル鳥取は4両編成で単独運転となった。
エーデルシリーズの特急は丹後、鳥取の成功を受けて増発されることになった。1990年3月10日ダイヤ改正では、大阪~福知山、浜坂間にエーデル北近畿を1.5往復新設した。これにより特急北近畿は7.5往復となり、登場から数年で運転本数が減少していくになった。1991年3月16日ダイヤ改正では特急エーデル北近畿の一部を福知山で分割して東舞鶴行きとして運転区間を拡大した。1993年3月18日ダイヤ改正では特急北近畿が7往復、特急エーデル北近畿が2往復、特急エーデル鳥取が1往復の運転体系となった。1994年12月3日ダイヤ改正では智頭急行開業に伴い、特急エーデル鳥取の運転区間が大阪~鳥取間に短縮された。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災後は、しばらく福知山線が迂回ルートとして使用され、特急北近畿の一部列車は新大阪発着となっていた。JR神戸線復旧後に大阪発着に戻されたが、翌1996年3月16日ダイヤ改正では特急北近畿(エーデルシリーズも含め)の全てが新大阪発着となった。北近畿タンゴ鉄道宮福線の電化開業により、急行みやづを格上げして特急文殊を新大阪~天橋立間に1.5往復新設した。また、大阪~久美浜間に運転されていた特急エーデル丹後を特急タンゴディスカバリーに置き換えた。タンゴディスカバリーは北近畿タンゴ鉄道が製造した新型特急車両KTR8000を使用し、新大阪~福知山間で特急北近畿と併結運転を行った。
1997年9月1日ダイヤ改正ではJR東西線開業により乗換駅となった尼崎に福知山線全ての優等列車を停車させた。1999年10月2日ダイヤ改正では、特急エーデル鳥取、特急エーデル北近畿を廃止。特急タンゴディスカバリーと山陰線京都発着で運転されていた特急タンゴエクスプローラのコンバートが行われ、特急タンゴエクスプローラが新大阪~久美浜間で運転されるようになった。このとき、特急北近畿は8往復、特急文殊は1往復の運転で、これに加えて特急タンゴエクスプローラが2往復運転された。
2002年10月5日ダイヤ改正ではほくせつライナーの格上げなどにより特急北近畿を2往復増発し、10往復の運転とした。また、朝夕の一部列車を新三田に停車させた。2003年12月1日ダイヤ改正では特急北近畿の一部を相野に停車とした。2004年10月16日ダイヤ改正では、急行だいせんが廃止され、この補完として特急北近畿を下り1本増発した。これにより特急北近畿の運転は10.5往復となった。2007年3月18日ダイヤ改正では特急北近畿、特急文殊が全面禁煙となった。2011年3月12日ダイヤ改正では、特急タンゴエクスプローラ、特急文殊を廃止。これにより福知山線から宮福線へ直通する定期特急が消滅した。特急北近畿は特急こうのとりに愛称名を変更した。287系新型特急車の運転を開始。同車が出揃うまで、暫定的に日根野区の381系が代走した。同年6月1日には287系追加投入が完了し、暫定運用の381系を置き換えた。2012年6月1日には287系紀勢線投入により余剰となった381系を福知山区に転属させ、特急こうのとり3往復で運用を開始した。183系の一部を置き換えた。2013年3月16日ダイヤ改正では381系の更なる転属が行われ、183系を全て置き換えた。2014年3月15日ダイヤ改正では朝ラッシュ時に運転されている特急こうのとり2・4・6号を西宮名塩停車とした。2015年10月30日をもって381系の運転が終了し、翌31日から683系から直流化改造された289系が運用を開始した。