1.概要
会社名 | 京阪電気鉄道 |
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路線名 | 京津線 |
区間 | 御陵~びわ湖浜大津 |
営業キロ | 7.5km |
駅数 | 7駅 |
平均駅間距離 | 1.25km |
所要時分 | 14分 |
表定速度 | 32.2km/h |
軌間 | 1435mm |
電気方式 | 1500V直流電化 |
線路 | 複線 |
保安方式 | ATS |
最高速度 | 75km/h |
最大編成両数 | 4両 |
京阪京津線は京阪本線の三条とびわ湖浜大津を結ぶ鉄道で、三条京阪〜御陵間は京都高速鉄道が建設した第2種鉄道事業となっている。通常電車は京都市交通局東西線の京都市役所前、太秦天神川からびわ湖浜大津まで運転されている。
駅番号 | 駅名 | よみがな | 駅間 | 営業 | 所在地 | 開業年月日 |
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T08 | 御陵 | みささぎ | – | 0km | 京都市山科区 | 1997年10月12日 |
OT31 | 京阪山科 | けいはんやましな | 1.5km | 1.5km | 京都市山科区 | 1912年8月15日 |
OT32 | 四宮 | しのみや | 0.6km | 2.1km | 京都市山科区 | 1912年8月15日 |
OT33 | 追分 | おいわけ | 1.3km | 3.4km | 大津市 | 1912年8月15日 |
OT34 | 大谷 | おおたに | 1.6km | 5km | 大津市 | 1912年8月15日 |
OT35 | 上栄町 | かみさかえまち | 1.7km | 6.7km | 大津市 | 1912年8月15日 |
OT12 | びわ湖浜大津 | びわこはまおおつ | 0.8km | 7.5km | 大津市 | 1913年3月1日 |
2.歴史
京阪京津線は1912年(大正元年)8月15日に三条大橋~上関寺仮乗降場間と上関寺~札ノ辻(1946年10月1日廃止)間がそれぞれ個別に開業した。上関寺駅付近約100mは徒歩連絡となった。同年12月14日に上関寺駅付近における官設鉄道東海道本線を跨ぐ上関寺国鉄跨線橋の建設工事が竣工し、上関寺仮乗降場~上関寺駅間約100mが開業し、三条大橋~札ノ辻駅間10.0kmが開業し、直通運転を開始。同区間を10分毎に30分で結んだ。
1916年(大正5年)5月1日に官設鉄道東海道本線京都~馬場(現在の膳所)間の現行ルートへの移設工事に伴い、御陵~毘沙門道(現在の京阪山科)間の一部区間を新設の東海道本線 高架(盛土高架)北側へ移設する工事を開始した。1919年(大正8年)5月29日に三条大橋~三条間が単線開業。
1921年(大正10年)8月1日に官設鉄道東海道本線京都~馬場間の現行ルートへの移設工事に伴う御陵~毘沙門道間の一部区間の新設の東海道本線高架(盛土高架)北側への移設工事が竣工し、毘沙門道駅を山科駅前駅(現在の京阪山科駅)に改称した。1923年(大正12年)2月20日に三条大橋~三条間が複線開業。
1925年(大正14年)2月1日に京津電気軌道株式会社が京阪電気鉄道株式会社と合併し、同社の京津線となった。同年5月5日に札ノ辻~浜大津(現在のびわこ浜大津)間が延伸開業し、全線開通。浜大津駅を新設した。1927年(昭和2年)9月21日に御陵駅を新築移転。1928年(昭和3年)7月1日に応天門駅を神宮道駅(後の平安神宮前駅。1944年廃止)に、広道駅を岡崎道駅(1931年2月20日廃止)に、それぞれ改称した。同年11月20日に自動閉塞信号機の使用を開始。
1930年(昭和5年)11月9日に大谷駅で労働組合員による電車脅迫脱線事件が起きた。1931年(昭和6年)2月9日に線路移設工事のため、蹴上駅の仮ホーム使用を開始。同年2月20日に専用軌道上の古川町~蹴上間を三条通上の併用軌道に移設したことにより営業キロが86m短縮された。神宮道駅を三条通上の併用軌道に移設。岡崎道駅を廃止。3月25日に蹴上駅の新ホームが竣工。3月28日に古川町駅を旧位置に移設。7月23日に四宮~追分間の京都府京都市と滋賀県大津市との境界付近に緑ヶ丘運動場前臨時駅を新設。
1932年(昭和7年)2月16日に京津国道(国道1号)の改良工事に伴い大谷~追分間併用軌道の専用軌道化工事竣工。4月7日に大谷駅を新築移転。1933年(昭和8年)2月1日に日本初の複巻電動機付回生制動車50型営業運転開始。5月11日に蹴上~日ノ岡間の併用軌道を専用軌道に移設。6月15日に三条大橋~浜大津間の所要時間を最速27分に短縮した。
1934年(昭和9年)3月19日に日本初の連接車60型3編成竣工し、「びわこ号」と命名した。4月2日に三条・三条大橋経由の京阪本線・京津線の直通運転が開始。60型を使用し、天満橋~浜大津間で特急「びわこ号」の運転が開始され、同区間が最速72分で結ばれた。4月17日に山科駅前駅の待避線が完成し、三条大橋~浜大津間の急行運転が開始され、三条大橋~浜大津間の所要時間を最速21分に短縮した。
1936年(昭和11年)6月25日に天文台下駅が開業。10月10日に軌道・鉄道線路名が改正され、大津線に属する京津線となった。1937年(昭和12年)8月20日に大津線の旅客運賃の改正を実施し、旅客運賃を値下げ。1939年(昭和14年)6月20日に京津線と石山坂本線との連絡線が完成。
1940年(昭和15年)2月頃京阪線京津線の「びわこ号」による直通運転が停止された。1941年(昭和16年)2月1日に神宮道駅を平安神宮前駅に改称。1942年(昭和17年)に緑ヶ丘運動場前臨時駅を廃止。1943年(昭和18年)4月15日に天文台下駅を九条山駅に改称した。
1943年(昭和18年)10月1日に戦時中の企業統合政策、陸上交通事業調整法により、京阪電気鉄道株式会社が阪神急行電鉄株式会社と合併し、京阪神急行電鉄株式会社が発足。同社の京津線となった。同年11月10日に長等公園下駅を廃止した。1944年(昭和19年)4月1日に平安神宮前駅、日ノ岡駅を廃止した。9月5日に通勤列車の営業運転を開始。11月21日に三条大橋~山科駅前間の折り返し列車運転のため、山科駅前駅に亘り線を新設した。
1945年(昭和20年)4月に1944年12月11日に廃止された愛宕山鉄道の客車3両を譲受。5月15日に蹴上駅、大谷駅、札ノ辻駅を休止。6月1日に大谷駅の営業再開。10月2日に蹴上駅の営業再開。1946年(昭和21年)1月1日に長等公園下駅の営業再開。5月10日に京津線の浜大津駅を石山坂本線の南側の路面上から同線の北側の船溜跡に移転。これに伴い石山坂本線の浜大津駅は浜大津(東口)駅と称した。10月1日に休止中の札ノ辻駅を廃止。
1948年(昭和23年)2月1日に三条大橋~浜大津間急行列車の運転を再開(最速25分)。三条大橋~石山坂本線石山寺間直通運転を開始。同年10月15日に長等公園下駅の下り線ホームの使用を中止。1949年(昭和24年)3月1日に長等公園下駅の下り線ホームの使用を再開。同年7月16日に土曜・日曜・祝日に限り天満橋~浜大津間直通の「びわこ号」運転再開。11月25日に三条大橋駅を京阪本線の三条駅に統合した。11月30日に統合された三条駅が竣工した。
1949年(昭和24年)12月1日に京阪神急行電鉄株式会社から京阪本線・交野線・宇治線・京津線・石山坂本線が分離譲渡され、再び京阪電気鉄道の京津線となった。12月11日に普通列車の三条~浜大津間の所要時間を最速32分に短縮。12月30日に2両連結運転開始に伴う御陵駅、山科駅前駅、四宮駅の各駅の拡張改良工事完了。1950年(昭和25年)1月7日に古川町駅の上り線に安全地帯を設置。9月10日に四宮駅上り副本線の新設に伴い、上り急行列車の待避駅を京阪山科駅から四宮駅に変更した。11月25日に古川町駅を東山三条駅と改称した。12月25日に大谷~上関寺間の軌道の一部移設工事を完了し、上関寺駅上り線ホームを高床ホームに変更した。
1951年(昭和26年)4月1日に三条~浜大津間の普通列車の所要時間を最速30分に短縮した。1953年(昭和28年)4月1日に山科駅前駅を東へ100m移設し、京阪山科駅と改称した。12月28日に日ノ岡駅の営業再開。1954年(昭和29年)1月4日に日ノ岡駅に安全地帯を新設。1月25日に浜大津経由の三条~石山寺間の急行運転が開始された。
1956年(昭和31年)1月10日に線路名称が制定され、大津線に属する京津線となった。1957年(昭和32年)7月15日に浜大津駅改良工事完成、ホームを2面2線に増強。1959年(昭和34年)1月20日に電車の集電装置(ポール)をホイール式からスライダー式に変更。3月1日に長等公園下駅の改築工事が完了し、上栄町駅と改称されるとともに、急行停車駅となった。1961年(昭和36年)8月12日に抑速回生と発電ブレーキ併用の高性能車80型営業運転開始。11月23日に浜大津~枚方公園間の「菊号」の運行をもって、60型による京阪線への直通運転を中止。
1968年(昭和43年)3月25日に運転間隔を(三条~石山寺間の急行、三条~浜大津間の普通の各列車)15分毎から(三条~石山寺間の急行、三条~浜大津間の普通、三条~四宮間の普通の各列車)20分毎に変更し、京阪線の間隔に合わせた。1969年(昭和44年)11月6日に三条駅構内の京阪本線との連絡線路を撤去された。
1970年(昭和45年)7月1日に京津線に過速防止装置の使用を開始。7月30日に三条駅で60型(びわこ号)のお別れ式を挙行。8月23日に電車の集電装置をスライダー式ポールからパンタグラフに変更された。
1971年(昭和46年)8月15日に上関寺駅が廃止された。大規模なダイヤ改正が実施され、準急を新設し、運転間隔を20分毎から(三条~浜大津・石山寺間の準急、三条~四宮間の普通の各列車)15分毎に変更することにより京津線と京阪本線との連絡が強化。全列車を2両連結編成での運行とし、単行運転を廃止。急行は朝夕のみの運行となった。
1979年(昭和54年)4月16日から500型営業運転開始。9月20日に西大津バイパスのインターチェンジ建設と国道1号線拡幅のために四宮駅の東から追分駅の東・名神高速の交差部分までの区間、京津線の線路を約15m北側へ移設、追分駅移設竣工。1980年(昭和55年)10月30日に大津線全車両62両に排障器および補助排障器の取付けが完成。
1981年(昭和56年)1月9日に浜大津駅前の京津線と石山坂本線との連絡線を廃止し、浜大津経由の三条~石山寺間の直通運転を廃止。4月12日に京津線の浜大津駅を石山坂本線の同駅(旧東口)に統合。ダイヤ改正を実施し、急行を廃止した。7月31日に浜大津駅の移設・統合化工事が完成。
1983年(昭和58年)4月1日に蹴上~四宮間にATSを設置された。1984年(昭和59年)4月1日にATSの設置を完了。4月26日から京津線初の冷房車600型営業運転開始。1986年(昭和61年)1月17日から列車無線連絡装置の使用を開始。7月30日に全駅で朝夕ラッシュ時に禁煙タイム実施。
1987年(昭和62年)4月1日に京津線の三条駅を京津三条駅へ改称(5月23日までは同一改札内で三条駅と京津三条駅が同居)。5月24日に京阪本線の東福寺~三条間の地下化により、京阪本線の三条駅が地下化され、京津三条駅が地上に取り残された。6月1日に地下化された京阪本線の三条駅との連絡調整を主目的とし、大津線・京阪線同時にダイヤ改正。1989年(平成元年)4月12日に冷房化した80形1編成の使用を開始。10月1日にプリペイド式の「Kカード」を導入した。
1992年(平成4年)5月1日に建設中の京都市営地下鉄東西線への直通運転開始に伴う大津線の電圧の1500V昇圧に対応した700形営業運転開始。1994年(平成6年)12月29日に600形の建設中の京都市営地下鉄東西線への直通運転開始に伴う大津線の電圧の1500V昇圧準備工事を完了した。
1996年 (平成8年)10月28日に京都市交通局東西線直通用車両800系の搬入開始(翌年6月までに8編成32両が導入された)。11月2日に四宮駅の延伸部分の使用を開始。11月14日に追分駅改修工事竣工。11月16日に大谷駅を東へ71m(営業キロ上は0.1 km)移設、ホーム4両編成対応化。11月に終電~始発間の深夜に石山坂本線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、800系の試運転開始(翌1997年7月まで)。
1997年(平成9年)4月8日に800系が京都市営地下鉄東西線に乗り入れての試運転を開始、7月末までに全8編成が東西線での試運転を行った。6月28日に四宮駅新駅舎供用開始。
10月11日に80形81-82号車による京津三条~四宮(早朝のみ京津三条~浜大津)間の普通と260形261-262号車による京津三条~浜大津間の準急を京津三条~御陵間のさよなら列車として運行。
1997年(平成9年)10月12日に京津三条~御陵間3.9kmが廃止。京津三条駅、東山三条駅、蹴上駅、九条山駅、日ノ岡駅を廃止。御陵駅を西へ約300m移設し、京都市営地下鉄東西線との共同駅として地下化。御陵府道東踏切付近 – 御陵間を地下新線に切り換え。架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。これにより京阪の全ての鉄軌道線(鋼索線除く)の架線電圧が1500Vとなった。京都市営地下鉄東西線京都市役所前駅まで直通運転開始。800系営業運転開始。京津線専用の80形、京津線・石山坂本線用の260形、石山坂本線専用の350形の大津線内での営業運転を廃止し、600形・700形を石山坂本線専用となった。保線用の貨122号車を廃車。以上により京阪電鉄車両の冷房化率100%と大津線の回生ブレーキ搭載車率100%を達成。準急が廃止され、大津線内の優等列車は全廃となり、普通列車のみの設定となった。
1999年(平成11年)6月1日から大津線列車運行管理システムの使用を開始。2001年(平成13年)5月10日から京都市営地下鉄東西線の特定区間である三条京阪~御陵間との定期旅客運賃を改定。2002年(平成14年)1月15日から京阪山科駅、四宮駅、上栄町駅の各上り線で係員配置時間帯のみ自動改札機の使用を開始。3月1日から京津線にスルッとKANSAIシステムを導入。追分駅と大谷駅で自動改札機の使用を開始。京津線全駅(一部ホームを除く)で自動改札機と自動精算機の導入が完了。11月30日から全列車をワンマン運転化。
2007年(平成19年)4月1日からICカード「PiTaPa」を導入。2008年(平成20年)1月16日に京都市営地下鉄東西線の二条~太秦天神川間の延伸開業に伴い、同線への乗り入れ区間を太秦天神川駅まで延長した。2017年(平成29年)4月1日から石山坂本線を含む大津線系統全線で、JR西日本が発行するICカード「ICOCA」を媒体とした「ICOCA定期券」を発売。2018年(平成30年)1月31日にスルッとKANSAI対応カードの利用を終了。同年3月17日に浜大津駅をびわ湖浜大津駅に改称した。2019年(平成31年)2月に大津線すべての先頭車にドライブレコーダーの取り付け完了。
3.路線ガイド
三条京阪は京阪本線との接続駅で改札内での乗り換えができる。東側で京都市交東西線と直通するためスルー構造になっている。ホームにはホームドアが付いており、ドア越しにしか電車は見えない。京都市交東西線は全て地下駅のホームドア付きだから、5000系電車をよく見ることはできない。三条京阪を出ると三条通りの地下を東へ進み、東山三条となる。さらに東進して左にカーブすると蹴上となる。蹴上を出ると東山区から山科区へと入り南に向けて進む。御陵の手前で京津線と京都市交東西線が分かれて、御陵の駅構内は上下2段に分かれている。御陵を出て右にカーブして地上に出ると左手にJR琵琶湖線が並行してくる。その築堤をくぐって南側に出て、真っ直ぐ東へ進んで京阪山科となる。東西線は地下のままJR琵琶湖線の北側を回り込み、JR山科、京阪山科と交差するところに駅がある。
- 三条京阪
- 三条京阪
- 三条京阪
- 三条京阪
- 東山
- 東山
- 東山
- 東山
- 蹴上
- 蹴上
- 蹴上
- 御陵
- 御陵
- 御陵
- 御陵
- 御陵
- 御陵~山科
- 御陵~山科
- 御陵~山科
- 京阪山科
- 京阪山科
- 京阪山科
- 京阪山科
- 京阪山科
- 京阪山科
- 京阪山科
- 京阪山科
山科を出ると真っ直ぐ東へ進んで四宮となる。同駅は四宮車庫を併設しており、800系がたくさん並んでいる。かつては80系や500系、600系など多種多様な顔ぶれが見られたが、今は地下鉄直通仕様の800系4両編成のみが配置されている。四宮を出るとJR琵琶湖線が離れていき、大津市に入り国道1号線に沿って走る。国道161号線がオーバークロスすると追分となる。この辺りから徐々に山間を行くようになる。追分を出ると右手から名神高速が近づいてきてその下をくぐって、左に名神、右に国道1号線と京津間のみならず東海道の大動脈に挟まれて進む。山間を進んで少し右にカーブして大谷となる。ここから名神高速とは離れて進んでいく。国道1号線とともに名神高速の下をくぐり、逢坂山越えを終えて進路を北に向けて進み、国道1号線、国道161号線と交差して、逢坂山トンネルを抜けたばかりのJR琵琶湖線を越えて上栄町となる。同駅を出ると浜大津まで国道161号線と併用軌道となる。この併用軌道では4両の長編成が走るため特認を受けている。真っ直ぐびわ湖に向けて進んで左手から石山坂本線が近づいてきて、右に急カーブしてそれと合流してホーム1面2線のびわ湖浜大津となる。びわ湖浜大津は立派な橋上駅舎で駅周辺には、ミシガンが発着している大津港があり、浜大津アーカスなどのショッピングセンターもあり、JR大津に比べて賑やかである。ここから先は石山坂本線として線路がつながっており、京津線電車は石山寺方の折り返し線で折り返す。
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮
- 四宮~追分
- 追分
- 追分
- 追分
- 追分
- 追分
- 追分
- 追分
- 追分~大谷
- 大谷
- 大谷
- 大谷
- 大谷
- 大谷
- 大谷
- 大谷
- 大谷~上栄町
- 大谷~上栄町
- 大谷~上栄町
- 大谷~上栄町
- 大谷~上栄町
- 大谷~上栄町
- 上栄町
- 上栄町
- 上栄町
- 上栄町
- 上栄町
- 上栄町
- 上栄町~びわ湖浜大津
- 上栄町~びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津
- びわ湖浜大津