JR牟岐線【阿波室戸シーサイドライン】ガイド

1.概要

 JR牟岐線は徳島と阿波海南を結ぶ77.8㎞の路線で、全線単線非電化の路線となっている。阿波室戸シーサイドラインの愛称が付けられている。徳島では高徳線、徳島線と接続しており、この両線と直通する列車も設定されている。阿波海南では阿佐海岸鉄道DMVと接続している。以前は海部までが牟岐線だったが、阿佐海岸鉄道のDMV導入により、阿波海南~海部間は阿佐海岸鉄道に編入された。

2.路線ガイド

徳島駅は2面3線の構造に加えて徳島線用の切り欠きホームが1面1線ある。徳島の中心駅にしてはこじんまりした造りだが、四国の各駅は高松駅を除いて似たような造りとなっている。各駅とも運転所を併設しているが、徳島も駅の北側に徳島運転所を併設しており、気動車がたむろしている姿がホームから見られる。徳島を出ると構内の線路と運転所の線路が収束していき、右にカーブして国道192号線と交差して、新町川を渡って1面1線の阿波富田となる。同駅の北東方向に徳島県庁や徳島県警本部がある。阿波富田を出ると右にカーブして、さらに左にカーブして1面2線の二軒屋となる。同駅の1キロほど東に徳島文理大学やその付属小、中、高校があるが、駅から少し離れている。駅の西側には城南高校 や県立盲学校があり、こちらは駅から近いこともあるので、通学時間帯には学生で賑わう。二軒屋を出ると冷田川を渡り、園瀬川との中州に1面1線の文化の森がある。園瀬川を渡って右にカーブして南東方向を向いて走り地蔵橋となる。この付近まで来ると徳島の市街地を抜けたなという感じがする。左にカーブして勝浦川を渡って小松島市に入り、国道55号線と交差して中田となる。かつては同駅から小松島線が発着していたが、国鉄時代に廃止されてしまっている。ここからしばらく、小松島市内を東向きに走り、南小松島となる。同駅は特急停車駅で、小松島高校への最寄駅となっており、駅の東側に小松島市役所、さらにその向こうに小松島競輪場がある。小松島競輪場の東側には小松島港が広がっている。

南小松島を出ると右にカーブして南下して行く。左手に小松島港を望みながら、立江川の河口付近に1面1線の阿波赤石がある。海側には工業地帯があり、その向こうには小松島港が広がっている。海から離れて内陸に入り、国道55号線と交差して南下して行く。立江は1面2線の行き違い可能駅で、立江川流域の小松島市立江地区にある。同駅を出ると左にカーブして羽ノ浦町に入る。春日野団地を右手に見ながら走り、羽ノ浦町の中心部が見えると1面2線の羽ノ浦となる。同駅は羽ノ浦町の中心駅で利用者も多く、特急も停車する主要駅となっている。

 羽ノ浦を出るとしばらく南東方向を向いて走る。那賀川町に入って1面1線の西原となる。右手に那賀川を見ながら走り、1面1線の阿波中島となる。同駅はかつては1面2線の構造だったが、今は棒線化されている。同駅を出ると右にカーブして那賀川を渡る。阿南市に入り、左にカーブして岡川を渡って阿南市の市街地が見えると2面2線の阿南となる。同駅は阿南市の中心駅で、牟岐線の中心駅にもなっている。立派な橋上駅舎に生まれ変わっており、徳島県南部の中心駅の役割を果たしている。
 阿南を出ると阿南の市街地を通り抜け、国道55号線と交差して、しばらくそれとともに南下して行く。見能林は1面1線で、駅周辺には阿南高専があり、通学時間帯には通学生で賑わう。右手に津峯神社、津峯公園へ向かう津峯スカイラインを見ながら南西方向に走り、1面1線の阿波橘となる。駅の東側には橘港が広がっており、発電所や工業地帯もあり、答島港フェリーターミナルなどもあるが、牟岐線の利用にはあまり結び付いていない。阿波橘を出ると阿南CCを右手に見ながら走り、しばらく西を向いて走り、右にカーブして進路を南に取ったところで2面2線の桑野となる。同駅は特急停車駅となっているが、それほど利用者が多いわけではない。同駅を出るとカーブが多くなり、峠越えの様相となって 駅間距離も長くなる。新野は1面1線の小さな駅だが、近くに甲子園出場もある新野高校があり、高校生の利用が多い。しばらく山間を走って行き、福井川を渡って1面1線の阿波福井となる。同駅を出るとさらに山深いところを走って行き、海部トンネルを抜けて海部郡由岐町に入って、短いトンネルをもう1本抜けて2面2線の由岐となる。同駅は由岐町の中心駅で、立派な駅舎にはぽっぽマリンという名の施設があり、カリブ海をイメージした水槽や地域の物産店、由岐の歴史や南海大地震の資料などが見られる展示室もある。また、同駅には特急が停車している。
 由岐を出ると右手に由岐港を見ながら短いトンネルを抜けて1面1線の田井ノ浜となる。田井ノ浜は田井ノ浜海水浴場への海水浴客のみを扱う臨時駅となっており、海水浴シーズンのみ列車が停車するようになっている。田井ノ浜海水浴場は同駅の目の前に広がっている。田井ノ浜を出ると短いトンネルを何本か抜けて1面1線の木岐となる。木岐は山間の小駅という感じで、盛り土の上にホームがあり、駅から太平洋を望むことができる。木岐を出ると再び短いトンネルを抜けて、さらに少し長い辻山トンネルを抜けて日和佐町に入る。続けて鳥山トンネルを抜けて北河内谷川を渡って1面1線の北河内となる。日和佐川を渡って、その対岸に日和佐高校、日和佐病院などを見て、日和佐港を垣間見ながら奥潟 川の向こうに日和佐城を見て2面2線で特急停車駅の日和佐となる。日和佐はウミガメが産卵に訪れることで有名である。駅から北東方向におよそ2kmほどのところにウミガメの産卵地がある。
 日和佐を出ると右にカーブして海岸部から離れて山間部を走る。国道55号線とともに大小トンネルを抜けながら山間部を走り、1面1線の山河内となる。山河内からも延々と山間部を走り続け、途中牟岐町に入って、5.9キロ走って1面1線の辺川となる。日和佐以南では駅間距離が長く、小さな駅は1日の利用者が二桁となるところもある。辺川を出ると山間部を抜けて平野部をS字にカーブして南を向いて牟岐川に沿って走り、1面2線の牟岐となる。牟岐駅は当初の牟岐線の終点で、牟岐町役場や牟岐港のフェリーターミナルにも近く特急を含めて同駅で折り返す列車は多い。
牟岐を出ると1973年に鉄建公団によって開通した比較的新しい線路を走る。山間部をトンネルで抜けて海南町に入ってトンネルの間に1面1線の鯖瀬がある。鯖瀬を出ると再びトンネルに入り、短いトンネルを何本か抜けて、左手に浅川湾を見ながら走る。浅川港を見ながら1面1線の浅川となり、ここから少し海とは離れて走る。しばらく山間部を走って海南町の町が見えてくると1面1線の阿波海南となる。同駅の前後で線路が一旦左右に振られているので、2面2線化できるように準備がなされているようだが、今のところその必要はなさそうである。阿波海南を出ると海部川を渡り海部町に入って海部となる。同駅は2面2線の高架駅で、ここから先阿佐海岸鉄道に線路がつながっており、折り返し 線も何もないスルー構造になっている。駅構内に構内踏切があり、上下線ホーム間はここを通って行き来するようになっている。阿佐海岸鉄道との連絡もこの踏切を通っての連絡となるので、乗り換えは若干手間がかかる。海部駅周辺は東側に太平洋が広がっており、西側は山並みが広がっているので、あまり人口は多くない。牟岐~海部間が各駅停車となる特急むろとや剣山が乗り入れてくるが、本数的には少ない。
【沿線撮影日2010年7月17日】

3.歴史

1913年(大正2年)4月20日に阿波国共同汽船が徳島~小松島間を開業。鉄道院が借り上げた。
1916年(大正5年)12月15日に中田駅開業。阿南鉄道が中田~古庄間を開業。
1917年(大正6年)9月1日に阿波国共同汽船の鉄道路線を国有化した。小松島軽便線となった。
1922年(大正11年)9月2日に小松島軽便線を小松島線に改称した。
1934年(昭和9年)9月20日に小松島線徳島~二軒屋間に富田浦駅、地蔵橋~中田間に丈六駅が開業した。
1936年(昭和11年)3月27日に牟岐線羽ノ浦~桑野間が開業。同年7月1日に阿南鉄道の中田~古庄間を国有化し牟岐線に編入。羽ノ浦~古庄間の旅客営業を廃止。赤石駅を阿波赤石駅と改称。機関車3両、蒸気動車1両、ガソリンカー4両、客車8両、貨車12両を引継いだ。

1937年(昭和12年)6月27日に牟岐線桑野~阿波福井間が開業。
1939年(昭和14年)12月14日に牟岐線 阿波福井~日和佐間が開業。
1940年(昭和15年)9月1日 金磯駅を仮停車場に変更。
1941年(昭和16年)8月10日に富田浦駅、丈六駅が休止された。
1942年(昭和17年)7月1日に牟岐線 日和佐~牟岐間が開業。
1959年(昭和34年)10月1日に赤河内駅を北河内駅と改称した。
1961年(昭和36年)4月1日に貨物支線の羽ノ浦~古庄間が廃止。牟岐線を徳島~牟岐間、小松島線を中田~小松島間に変更。
1962年(昭和37年)7月18日に南小松島~阿波赤石間の金磯駅を廃止。準急むろとが運転開始した。
1964年(昭和39年)7月11日に由岐~木岐間に(臨)田井ノ浜駅が開業した。
同年10月1日に羽ノ浦~阿波中島間に西原駅が開業した。

1966年(昭和41年)3月5日ダイヤ改正で、準急むろとが急行に格上げされた。
同年11月1日に阿波富岡駅を阿南駅と改称した。

1973年(昭和48年)10月1日に牟岐線 牟岐~海部間が開業。旅客営業のみ。
1982年(昭和57年)11月15日に中田~阿南間の貨物営業廃止。
1984年(昭和59年)2月1日に貨物営業廃止。
1985年(昭和60年)3月14日に小松島線 中田~小松島間が廃止。
1986年(昭和61年)11月1日に徳島~二軒屋間に阿波富田駅が開業した。
1987年(昭和62年)4月1日に国鉄分割民営化によりJR四国に路線承継。
1988年(昭和63年)4月10日ダイヤ改正で、急行むろとを阿波に改称。
1990年(平成2年)11月3日に二軒屋~地蔵駅間に文化の森駅が開業。
同年11月21日に高速化(最高運転速度110km/h)工事が完成し、特急うずしお3往復乗り入れ開始、海部までは下り1本、上り2本の運転となった。急行阿波が廃止された。

1992年(平成4年)3月26日から阿佐海岸鉄道阿佐東線との直通運転を開始。
1998年(平成10年)3月14日ダイヤ改正で、特急剣山が牟岐線および阿佐海岸鉄道阿佐東線乗り入れ開始。
1999年(平成11年)3月13日ダイヤ改正で、特急うずしおを系統分割し特急むろと運転開始。
2002年(平成14年)7月1日から阿波室戸シーサイドラインの愛称使用開始。
2005年(平成17年)7月23日に牟岐線初のトロッコ列車運転。
2007年(平成19年)10月21日に牟岐線初のリバイバル列車急行むろと号が運転された。
2008年(平成21年)3月15日ダイヤ改正で阿佐海岸鉄道阿佐東線への直通運転を中止。特急ホームエクスプレス阿南が運転開始。
2009年(平成21年)12月1日ダイヤ改正で阿佐海岸鉄道阿佐東線への直通運転を再開。
2010年(平成22年)3月13日にホーム嵩上工事完成。全線で1500・1200型気動車の運転が可能となった。
2011年(平成23年)3月12日ダイヤ改正で、特急剣山の阿佐海岸鉄道阿佐東線への直通運転が廃止された。
2014年(平成26年)3月15日ダイヤ改正で特急剣山の系統分割により、牟岐線の牟岐発着特急3往復が全て徳島発着むろとになった。
2019年(平成31年)3月16日ダイヤ改正で、パターンダイヤを導入し、徳島~阿南間で普通列車が8本増発。また、阿南~牟岐・海部間の普通列車が減便、特急むろとが1往復になり(改正前は3往復)、特急ホームエクスプレス阿南が廃止された。牟岐発着の阿佐海岸鉄道との朝2往復の相互直通運転も廃止となり、全ての列車が海部で乗り換えとなった。さらにこの減便対策として、同日から徳島バスの高速バス路線「室戸・生見・阿南 – 大阪線」のうち、阿南~甲浦間相互で乗降が可能となった。
2020年(令和2年)7月18日に阿波海南駅 – 海部駅間でDMV関連工事を行うため、牟岐~海部間を運休しバス代行輸送を開始。8月11日にJR四国が阿波海南~海部間の鉄道事業廃止届を国土交通省に提出。
9月29日に9月3日に行った四国運輸局による聴取の結果、阿波海南~海部間の廃止予定日繰り上げが認められたことから、JR四国が阿波海南~海部間の鉄道事業廃止繰上届を国土交通省に提出。
10月1日に新型コロナウイルス感染症蔓延の影響による乗客減に伴い、この日から当面の間、下り最終列車の徳島23時39分発の阿南行き普通列車が運休。
10月31日に阿波海南~海部間の鉄道事業廃止。代行バスは11月30日まで引き続き牟岐~阿波海南~海部間にてJR四国が運行。
11月1日に阿波海南信号場(阿波海南駅より変更) ~海部間が阿佐海岸鉄道阿佐東線に編入された。
12月1日にJR四国による代行バスが牟岐~阿波海南間に短縮。阿佐海岸鉄道による代行バス運行が阿波海南~海部~甲浦間で開始。
2021年(令和3年)2月1日に牟岐~阿波海南間でのバス代行輸送を終了し、列車の運転を再開。
3月13日ダイヤ改正により、運休となっていた徳島23時39分発の阿南行き普通列車が廃止となり、最終列車の時間が繰り上がったことで、当線における日付を越えて運行する列車がすべて消滅した。
2022年(令和4年)4月1日に徳島バスの高速バス室戸・生見・阿南 – 大阪線に牟岐線との並行モード連携モデルが導入され共同経営を開始、JRの有効な乗車券類で阿南~浅川間のバス利用が可能となった。

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