【関西各駅探訪第420回】近鉄南大阪線橿原神宮前駅

橿原神宮前

~将来はFGTの拠点ともなりえる標準軌と狭軌の結節点~

近鉄南大阪線、橿原線、吉野線の橿原神宮前駅は奈良県橿原市にある。近鉄主要3線が交わる駅で、文字通り橿原神宮への最寄駅でもある。南大阪線と吉野線は軌間が同じ狭軌のため直通運転しているが、橿原線は標準軌のため、ホームが分かれていて直通運転は行われていない。この狭軌と標準軌の壁をなくすべく、近鉄はフリーゲージトレインの導入を検討している。現在も五位堂での車両検査のため、南大阪線と橿原線で車両の行き来があり、橿原神宮前駅構内東側に台車を取り替えられるスペースがある。

橿原神宮前

橿原神宮前駅は1923年3月21日に橿原線の前身である大阪電気軌道畝傍線の駅として開業した。開業時は現在地寄り北西側にあり、今よりも橿原神宮に近かった。同年12月5日に吉野線の前身である吉野鉄道が開業し、当駅で大阪電気軌道に連絡した。翌年11月1日には吉野鉄道が省線(後の国鉄)畝傍まで延伸された。1929年3月29日に大阪鉄道古市〜久米寺間が開業。この久米寺駅が現在の橿原神宮前駅の前身となる。吉野鉄道にも久米寺駅が設置され、大阪鉄道と連絡した。同年8月1日には大阪電気軌道が吉野鉄道を買収した。1930年7月10日には大阪電気軌道吉野線の橿原神宮前〜久米寺間を3線軌条化し、標準軌の畝傍線電車の久米寺乗り入れを開始した。1939年3月1日に吉野線小房〜橿原神宮前間を小房〜久米寺間に線路を切り替えた。同年7月28日に畝傍線の線路切り替えを行った。この時久米寺駅を橿原神宮駅駅に改称した。橿原神宮前ではなく、橿原神宮駅が駅名となる異例のケースが誕生した。同年8月15日には大阪鉄道の橿原神宮駅が廃止された。1940年4月1日には大阪鉄道の久米寺駅が橿原神宮駅駅に改称された。1941年3月15日に大阪電気軌道と参宮急行が合併し、関西急行電鉄が発足した。橿原線、吉野線の橿原神宮駅駅は関西急行電鉄の駅となった。1943年2月1日には大阪鉄道が関西急行電鉄に合併された。1944年6月1日には戦時統合により、関西急行と南海鉄道などが合併し近畿日本鉄道となった。以降近鉄の駅となり、1970年3月1日に現駅名の橿原神宮前駅に改称された。

橿原神宮前

狭軌の南大阪線、吉野線と標準軌の橿原線でホームが分かれており、南大阪線、吉野線は2面4線、橿原線は2面3線となっている。両ホームは構内の地下通路で結ばれており、少し離れているので、乗り換え時間は余裕を見た方がよい。

橿原神宮前

橿原線ホームが1・2・3番線となっている。橿原線ホームのうち3番線は行き止まり構造になっている。

橿原神宮前

1・2番線はさらに線路が延びていて、留置線に繋がっている。

橿原神宮前

1番線の隣に0番線があり、ここだけは狭軌の線路が敷かれており、吉野線の臨時や団体列車が乗り入れる。0番線の隣には検修庫があり、ここで狭軌と標準軌の台車が交換される。

橿原神宮前

東改札に抜けるための構内踏切が設置されている。

橿原神宮前

南大阪線、吉野線は直通運転を行っており、4~7番線から発着する。4・5番線が吉野方面。6番線が当駅折り返しと吉野線からの直通大阪阿部野橋方面行き。7番線が吉野線からの直通大阪阿部野橋方面行きが発着する。

橿原神宮前

出口は3ヶ所ある。中央口、東口、西口がある。中央口は南大阪線、吉野線、橿原線ホームの間にあり、橿原神宮へはここが一番近い。橿原神宮を模した大屋根が特徴である。駅前にはロータリーが整備され、路線バスや観光バス、タクシーが発着している。

橿原神宮前

改札は有人改札でICカード対応の自動改札機と自動券売機が設置されている。特急券販売の窓口や特急券自動券売機もある。

橿原神宮前

西口は南大阪線、吉野線ホーム側にある。ロータリーがあり、各方面へのバス路線が発着している。

橿原神宮前

西改札も有人改札で、ICカード対応の自動改札機や自動券売機が設置されている。

橿原神宮前

東口は橿原線ホームの東側にある。各ホームへは構内踏切を渡る必要があるが、回送車ぐらいしか通らないので、踏切が閉まることはあまりない。

橿原神宮前

東口にもロータリーがあり、各方面へのバス路線が発着している。

橿原神宮前駅の2015年度1日あたりの乗車人員は9,955人で、うち定期利用者は5,805人で、定期比率は58.3%となっている。10年前の2005年度と比較すると全体で12.8%減、定期利用者は16.8%減となっており、定期外利用者も6.5%減と全般的に減少傾向にある。

  

鉄道コム

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