鹿島鉄道鹿島鉄道線ガイド【鹿島神宮への参拝路線として建設された】

鹿島鉄道KR501

鹿島鉄道KR501

1.概要

鹿島鉄道鹿島鉄道線はJR常磐線の石岡と鉾田を結ぶ26.9㎞の路線で、2007年4月1日に廃止された。石岡でJR常磐線と連絡する以外は他線との連絡はなかった。終点の鉾田は鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の新鉾田駅の西側1.5㎞程の距離にあった。

2.路線ガイド

石岡はホーム1面2線で、JR石岡駅改札内にあり、鹿島鉄道の中間改札が設置されていた。駅には鹿島鉄道の車両基地となっていた石岡機関区が併設されていた。石岡を出るとJR常磐線と分かれて東向きに進んでいく。石岡南台はホーム2面2線の行き違い駅で、1989年に開設された鹿島鉄道で一番新しい駅だった。次の東田中はホーム1面1線で石岡商業高校の最寄駅となっており高校生の利用が多かった。石岡市から小美玉市に入り、ホーム2面2線の玉里となる。次の新高浜はホーム1面1線で、JR常磐線の高浜とはかなり離れており、連絡機能はなかった。四箇村もホーム1面1線で、開設当初は四ヶ村だったため、駅名板は四ヶ村のままだった。

常陸小川はホーム2面3線で、当駅折り返し列車も設定されていた。小川高校下はホーム1面1線で、1988年に開設された鹿島鉄道で二番目に新しい駅だった。小川高校下を出ると行方市に入り、右手に霞ヶ浦を見ながら走る。桃浦はホーム1面2線で、かつては霞ヶ浦の桃浦水泳場があり、夏には水泳に訪れる人で賑わっていた。八木蒔、浜とホーム1面1線の駅を過ぎると霞ヶ浦と分かれて走る。次の玉造町はホーム2面2線の行き違い駅だった。ここから少し進路を北東方向に取り、ホーム1面2線の榎本となる。航空自衛隊百里基地の燃料補給基地があり、貨物輸送も行われていたため駅構内は広かった。鉾田市に入り、ホーム1面1線の借宿前となる。さらに北東方向に進みホーム1面1線の巴川となる。ここから東向きに走りホーム1面1線の坂戸となる。鉾田の市街地に入り、ホーム1面1線の終点の鉾田となる。鉾田駅は関東の駅百選にも選ばれた。

キハ602

【乗車及び撮影日2005年9月11日】

3.歴史

鹿島鉄道線は1924年(大正13年)6月8日に鹿島参宮鉄道として石岡~常陸小川間が開業した。
1926年(大正15年)8月15日に常陸小川~浜間が開業。
1928年(昭和3年)2月1日に浜~玉造町間が開業。
1929年(昭和4年)5月16日に玉造町~鉾田間が開業し全通した。
1931年(昭和6年)2月1日に四ヶ村駅(後の四箇村駅)・下馬場駅・八木蒔駅・坂戸駅が開業。
1943年(昭和18年)12月23日に四ヶ村駅・下馬場駅・八木蒔駅・坂戸駅休止。
1951年(昭和26年)10月1日に借宿前駅開業し、四箇村駅・八木蒔駅営業再開。
1956年(昭和31年)11月19日に坂戸駅営業再開。
1957年(昭和32年)4月26日に武田駅が廃止された。
1964年(昭和39年)11月18日に東田中駅が開業。
1965年(昭和40年)6月1日に常総筑波鉄道と合併して関東鉄道となり、同社の鉾田線となった。
1971年(昭和46年)10月1日に玉里信号所(後の玉里駅)が開業。
1979年(昭和54年)4月1日に鉾田線が鹿島鉄道に分離され鹿島鉄道線となった。
1987年(昭和62年)2月16日に一部列車がワンマン化された。
1988年(昭和63年)4月1日に玉里駅・小川高校下駅が開業。
1989年(平成元年)6月16日に石岡南台駅が開業。
2002年(平成14年)4月1日に貨物営業が廃止された。
2006年(平成18年)3月30日に廃止届を国土交通省に提出。
2007年(平成19年)4月1日に路線廃止され、関鉄グリーンバスに転換した。

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