寝台特急あかつきの歴史と変遷|7往復時代から廃止までをダイヤ改正でたどる
1.ブルートレイン「あかつき」誕生
1965年10月1日ダイヤ改正で、新大阪~西鹿児島・長崎間に寝台特急あかつきが運転を開始した。20系客車を使用し、ブルートレインの一員となった。
1968年10月1日ダイヤ改正では、新大阪~西鹿児島・佐世保間に1往復増発され、2往復体制となった。
1972年3月15日ダイヤ改正で山陽新幹線新大阪~岡山間が開業したが、あかつきは新大阪~熊本・長崎間に1往復増発され、3往復体制となった。また、あかつき下り1号・上り3号の西鹿児島編成は、向日町運転所所属車から品川客車区所属車へ変更され、寝台特急はやぶさと完全共通運用となった。
2.関西~九州間夜行列車が最盛期を迎える
1972年10月2日ダイヤ改正では、新大阪~熊本間のあかつき1往復(下り2号・上り3号)が増発され、4往復体制となった。同時に4往復中3往復へ14系客車が投入された。
また、西鹿児島・長崎発の上り3号は上り4号に、西鹿児島・佐世保発の下り2号は下り3号へ変更された。
さらに同日、長崎本線新線(市布経由)が開業したことに伴い、従来の長与経由から市布経由へ変更された。
1973年10月1日ダイヤ改正では、季節列車の雲仙・西海各1往復を統合し、あかつきは
新大阪~西鹿児島(2往復)
新大阪~西鹿児島・長崎
新大阪~長崎・佐世保
新大阪~長崎
新大阪~佐世保
の計6往復となった(佐世保発着列車は彗星と新大阪~門司間で併結運転)。
また、この改正から24系客車が投入された。
1974年4月25日には、新大阪~熊本間でさらに1往復増発され、あかつきは最盛期となる7往復体制となった。
同時に新製の24系25形客車が投入され、2段式B寝台がデビューした。
この時点での運転体系は次のとおりである。
21・22列車:新大阪~西鹿児島・長崎(下り1号・上り7号)
23・24列車:新大阪~西鹿児島(熊本付属編成連結)
25・26列車:新大阪~長崎
29・30列車:新大阪~西鹿児島(熊本付属編成連結)
31・32列車:新大阪~佐世保(彗星と門司まで併結)
33・34列車:新大阪~熊本
35・36列車:新大阪~長崎・佐世保
まさに関西~九州間夜行列車の黄金時代であった。
3.山陽新幹線博多開業で本数が激減、ここから減退期へ
1975年3月10日ダイヤ改正で山陽新幹線岡山~博多間が開業すると、西鹿児島・熊本発着列車は明星として系統分割された。
これにより、あかつきは
新大阪~長崎・佐世保
新大阪~長崎(明星併結)
新大阪~佐世保(明星併結)
の計3往復となった。
また、下り長崎・佐世保行き、上り佐世保始発列車は大阪発着へ変更された。
1978年10月2日ダイヤ改正では、明星との併結運転を終了し、
1・2号:大阪~長崎・佐世保
3・4号:新大阪~長崎・佐世保
の2往復へ整理された。
この改正では佐世保編成が筑豊本線経由となり、長崎編成とは異なる経路で運転された。
その結果、鳥栖~肥前山口間では同じ「あかつき2号」「あかつき3号」が続行運転される珍しいダイヤとなり、誤乗も少なくなかったと言われている。
この珍しい運転形態は、西村京太郎の『寝台特急あかつき殺人事件』の題材にもなった。
なお、この改正から全列車が14系15形客車での運転となった。
4.明星との併結運転復活も、分割民営化を前に1往復体制へ
1984年2月1日ダイヤ改正では、
1・2号を新大阪発着へ変更
佐世保発着編成を明星へ変更
新大阪~鳥栖間で明星との併結運転開始
となり、佐世保発着列車は1往復に減少した。
1985年3月14日ダイヤ改正では、佐世保編成を筑豊本線経由から博多経由へ変更した。これにより筑豊本線経由の本州直通列車は姿を消した。
1986年11月1日ダイヤ改正では、明星・あかつき1・4号が20系客車による臨時列車へ格下げとなり、あかつきは新大阪~長崎・佐世保間1往復のみとなった。
また、佐世保編成には普通車指定席(オハ14)が連結された。
5.JR発足後、夜行高速バスとの競争へテコ入れ
1990年3月10日ダイヤ改正では、長崎編成へ普通車指定席「レガートシート」の連結を開始した。
急速に勢力を拡大していた夜行高速バスへの対抗策として導入されたものである。
一方、佐世保編成の座席車はB寝台へ変更された。
1990年11月21日には臨時寝台特急あかつき81・82号が急行雲仙へ格下げとなった。
1991年3月16日ダイヤ改正では京都発着へ延長された。
1992年3月14日ダイヤ改正では長崎編成へB寝台1人用個室ソロを連結した。
1994年12月3日には臨時急行雲仙が廃止された。
6.阪神・淡路大震災による迂回運転と個室寝台の充実
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、あかつきは当分の間運休となった。
1月30日からは臨時寝台特急あかつき81・82号として運転を再開し、大阪~姫路間を福知山線・山陰本線・播但線経由で迂回運転した。
4月1日のJR神戸線復旧に伴い通常運転へ戻った。
1998年10月3日には、サンライズ出雲運転開始により廃止された出雲2・3号から
A寝台1人用個室シングルDX
B寝台2人用個室ツイン
B寝台1人用個室シングルツイン
を長崎編成へ転用した。
従来のソロは佐世保編成へ転用され、あかつきはさらに設備が充実した。
7.佐世保行き廃止・併結運転復活など衰退期へ
2000年3月11日ダイヤ改正では、佐世保発着列車を廃止し、南宮崎発着の寝台特急彗星と京都~鳥栖間で併結運転を開始した。
これにより、佐世保線への夜行列車JR他社直通列車は姿を消した。
また、彗星も京都発着へ変更され、三ノ宮停車となるなど、あかつきに合わせたダイヤへ変更された。
8.関西ブルートレインの雄・あかつきもついに終焉
2005年10月1日ダイヤ改正では、彗星が廃止され、京都~鳥栖間で寝台特急なはとの併結運転を開始した。
編成は6両に短縮されたものの、彗星から転用されたB寝台1人用個室ソロを再び連結し、代わりに4人用簡易コンパートメントが廃止された。
そして2008年3月15日ダイヤ改正で、寝台特急あかつきは廃止となった。
これにより、長崎本線へ乗り入れる夜行列車、JR他社直通列車は消滅した。代替として博多~長崎間の特急かもめが1往復増発された。
また、本州~九州間のブルートレインは東京発着の富士・はやぶさ1往復のみとなり、京阪神~九州間の定期夜行列車の歴史にも幕が下ろされた。
9.あかつき変遷一覧
年月日 主な出来事
1965年10月1日 ブルートレイン「あかつき」運転開始
1974年4月25日 最盛期の7往復体制となる
1975年3月10日 山陽新幹線博多開業で3往復へ縮小
1978年10月2日 2往復体制へ整理
1986年11月1日 1往復体制となりJR発足を迎える
1990年3月10日 レガートシート導入
1991年3月16日 京都発着へ延長
1992年3月14日 B寝台個室ソロ連結開始
2000年3月11日 彗星との併結運転開始
2005年10月1日 なはとの併結運転開始
2008年3月15日 廃止





